佐藤 千恵子
Saint Mary College(カンザス州)在学中
アート専攻
勉強の飢えを満たしたくて
私は37歳、米国セントメリー・カレッジの学生です。学生に戻ったのは高校を卒業して以来なので、実に17年ぶりのことです。10年間勤めた塾講師としての仕事を辞めたときは、さすがに所属を失ってしまったことに対する喪失感や不安感がありました。しかしそれ以上にこれから思う存分勉強できるという喜びのほうが大きかったです。私の留学の動機は、勉強に対する精神的な飢餓感からでした。とはいえ、私は学生時代、勉強好きな学生ではなく、怠け者の劣等生でした。
私が激しい向学心に目覚めたのは社会に出てから、自分の一生の課題に巡り合ったことによります。もともと歴史や美術が好きだったことから、休暇を利用しては欧州へよく出かけました(といっても数年に1回程度)。
旅の目的は欧州美術の実物をこの眼で見ることでした。とりわけ心を惹かれ強い印象を抱いていたのが、暗黒時代と呼ばれているロマネスクやゴシックの教会と彫刻でした。石で刻まれた聖書。聖母子や聖人たちの群像。初めて接したときは、その彫像たちの不恰好さに驚きました。大きな頭や手、それに比べて小さな胴体、足。その表情の不思議さ。
大きく見開かれた眼は、まるで魂の奥底まで語りかけてくるようです。自分とは何者なのか、なぜ、この地上に存在するのかと。もっと深く美術について学んでみたい、しかもアカデミックな場で。
えっ!? 主婦が博士号を!?
大学へ行きたいと思いはじめたのが今から10年前のことです。しかし日本の大学は、私のように高校を卒業して何年もたっている社会人には敷居が高すぎます。入学試験に費用、地理的(多くの大学は大都市にありますね?)問題に加え、自分の学力のなさ。自分に対して自信がもてない、大学なんて無理、でも勉強はしたい、ということで始めたのが大学の通信教育でした。
しかし通信教育は、ほとんどがレポートを提出すること、しかも苦労して書いたのに採点者の評価はたった2、3行でおしまい(本当に読んでるの!?)。フラストレーションがたまりました。私は慢性の欲求不満状態でした。
そんなとき、某米国大学日本分校の米国人教授の講演会を聴きに行きました。話の内容は、ある主婦(教授本人)が、子どもの独立をきっかけに准学士号を取るために大学に戻ったこと。ところがそれだけに留まらず学士、修士、そして博士(Ph.D.)、ついに大学教授になってしまったという、日本ではとても考えられないような話でした。
いったい米国の大学とはどんなところだろう。もしかしたら私の精神的な飢餓感を救ってくれるのではないか、すがるような思いで訪ねたのが栄 陽子留学研究所でした。そして留学を果たしたのが1999年のことです。
カウンセリングを受けてからすぐに留学に踏み切ったわけではありませんでした。意気地のない私は、それからもぐずぐずと考え続けました。この就職難の時代、30を過ぎた女に就職先があるだろうか、親も歳をとるし、周囲の目だって気になる。それに通信教育で勉強をしていたとはいえ、自分の学力にも自信がもてませんでした。
しかしながら、もしここであきらめてしまったら、この飢餓感を一生抱えて生きていかなければならない。それだけは絶対に、嫌でした。
重ねた年齢を原動力として
留学して2年、悪戦苦闘の毎日ですが、充実しています。後悔は今のところありません。将来もしできるなら大学院へ行きたいと願っています。私と同じように30を過ぎたけれど留学したい、勉強したいと思っている、でもとても不安だという方。大丈夫です。私でもできるのですから。
米国では、大学で勉強するのに女性の年齢は全く関係ありません。むしろ成績の良い学生は、年齢の高い人のほうに多いようです。精神的に大人だし、経験も豊かだからでしょうか。将来の不安もあるでしょうが、私のように精神的に飢えを感じている人は、勇気をもって一歩踏み込んでみてください。
年齢を重ねたことを誇りに思って、どんな苦労があっても、それが自分を高め、強くしてくれる原動力になってくれることを信じて。
このメンバーで家を建てました。(メキシコにて)