留学は日本地図からの脱出 前編 ~ちいっと頭のスイッチを切り換えなさい~

はじめに

教育の選択ということを考えたことがありますか?

日本では、人間は誰でも教育の選択ができるということさえ考えることもないほど、みんな一方向に向かって生きています。アジアの国々も、今では日本と同じ程度の規格品を作ることができ、かつ、賃金は安いという時代です。一方向を向いて一生懸命働いてきた日本の立場は、今後とてもあやういのです。

日本の資源は人です。日本人は昔からとても上手に、この世を乗り切ってきた人種だと思います。そして戦後の六十余年間もうまくやってきました。でも、もう、発想の転換を考えないと、難しくなってきました。

人間はそもそも同じ臭いのする人間が好きなのです。同じ鳥類でも、ニワトリとツバメが交わらないように、動物は同じ臭いのするものと付き合いたいわけです。

ですから、いまだに、地球のあちこちで、民族闘争が絶えません。地球がでっかくて、動物も人類も少ない時は、お互いのテリトリーを荒らさなくてちょうどよかったのです。でも、現代のように人口爆発の後に情報過多ということになると、もう何でも地球規模で考えないと人類が対応出来なくなってしまったのです。

したがって、人間は自国人であることを愛しつつ、かつ、地球人として物事を考えるという二面性を持つ必要にせまられているのです。

もちろん、そうなるための教育も必要なわけです。しかし、わが国のように、まるでサラリーマンになるために生まれてきたような教育を受けていたのでは、日本の将来は、絶望的です。

アメリカ人はもともと移民であったため、自分のオリジンという部分と、アメリカ人という部分の二面性を持っています。そして、人間のそういう矛盾をなんとか解決して生き延びていこうという努力をする人たちです。毎年、大変な数の人が合法、非合法を問わず、移民としてやってきます。

アメリカの面白いところは、どんな人でも、例え昨日まで裸足で歩いていた人に対しても、アメリカにきたら教育をするという考えを持っていることです。従って、多くの州は、十六歳ないし十七歳までの教育は義務教育としてすべて無料、教科書まで貸し出すという形をとっています。さらに大学も約四〇〇〇校以上あって、それこそレベルも費用も高い大学から、無料に近いもの、どんなに成績の悪い人でも入学させるという学校まで、実にさまざまな教育機関が存在しています。

これは、あまりにたくさん移民がくるので、ともかく教育して独り立ちしてもらいたいという願いと、みんな移民であったのだから、早くきた人が良くなったからといって、新しい人たちにチャンスをあげないで閉め出すのはフェアじゃないという考えが根底にあるからなのです。

こういった多様な価値観を受け入れつつ、地球の存続と繁栄をはからなければならないこの時代に、日本ではその逆へ逆へと進む、教育が行われています。

アメリカの高校や大学、大学院を選ぶことも、教育の選択のひとつなのです。そして、そういう教育の選択が出来ないということは、この経済大国で、かつ否応なく世界のリーダーの一人としてこれからも生きていかなくてはならない日本にとっては、とても、危険なことなのです。しかし、教育に選択があるということさえも考えたこともない人がいっぱいいるのです。

私は、日本で初めて留学カウンセラーを名乗って四十年以上留学の相談をしてきました。世に留学エージェントというのはたくさんありますが、そこではすべて旅行の延長線上もしくは商品として考えられます。一カ月の英語留学でも一年の交換留学でも、一人送って「なんぼ」の世界なのです。

私の考えている留学は、あくまで教育です。したがって、留学のカウンセリングは、教育相談であり、人生相談で、カウンセラーの私のほうも実にさまざまなことを考えさせられ、カウンセリングを通じて、日本の世相を学ぶことになります。

教育の選択どころか自分の本音さえもよくわかっていない人たちもいるくらい、日本の教育は一方向に徹底されています。

そういう人がアメリカに行くと、まったく違う自分を発見することさえあるのです。

人間は、しあわせになりたくて生きています。そして、その思いが、いま、息子が戦場から生きて帰ってきてくれればというものから、エリート官僚になるために東大にさえ入れれば、というものまでさまざまです。どれだけ多様な価値観があっても、まず受けとめねばなりません。その次に自分の意見をもたなければなりません。

このコラムを読んだ人が留学に関係なく、頭をやわらかくしてほしいと思って書きます。

日本には頭のいい人は多いのですが、頭のやわらかい人はとても少ないのです……。

もうちょっと生き方考えてみてもいいんじゃない

「相談にいっても、軽蔑されないだろうか」と、最近、大学三年生、四年生から電話がかかってくるようになった。

就職氷河期と言われていても、大学の名前で就職するのはそんなに難しくないと思う。でも経済学部に在籍していても、経済がどういうものかわかったわけでもない。このまま就職することを考えると、ものすごく怖くなる。漠然と留学したいと思っているが、何の勉強をしたいのかよくわからない。そんな相談でも軽蔑されないだろうかと心配している。

どんな仕事ができるか胸に手を当てて考えたら、「このままじゃ知識が足りないんじゃないか」と怖くなる。それ本音だろうと思う。「軽蔑せえへん、せえへん。私も大学出て何したらいいかわからへんかった。あんたと一緒やった、相談においで」と答えている。

私も卒業が目前に迫ってきたときに、社会に出るのがすごく怖かった。親に「あんたが一番」と言われて育ったので、学生のときは「世の中に出たら一番になるねん」と思っていた。でもいざ卒業して自分に何ができるだろうかと考えたら、社会で勝負できる武器を持っていなかった。

どうしたら一番になれるのか、まったくわからなかった。そんなことは悩みもしない学生のほうがまだまだ圧倒的に多くて、何も迷わずにタッタカ、タッタカ受験戦争と同じノリで就職する。不況だからこそサラリーマンになって、一生を保障してもらえそうな安全な人生を送ろうとしている。

でも杜長になろうとまでは思っていない。「まあ部長ぐらいにはなれるやろ」と思っているかどうか知らないけれど、ともかく一流企業のサラリーマンになることを目標にしている。

確かに、日本は本当にサラリーマン化している社会で、サラリーマン以外はちょっとネガティブな感じに見られてしまうのも事実。会社の名刺さえ持っていれば、どこでも通用するということもある。

日本の大新聞やテレビ局の人たちは高給取りのエリートサラリーマンなので、そういう人の書いたものはどうしてもサラリーマン的な見方になっている。それを読んだり見たりしていると、知らず知らずのうちに、サラリーマンが人間の生きる道であるような錯覚にとらわれる。夢も冒険もない生活だとしても、サラリーマンにならないとお先真っ暗だと考えるようになってしまう。

実際、商学部で勉強しても、みんなが知っている、なるべく給料の高い会社に入るために必死になって就職活動をする。スモールビジネスから始めようとは考えもしない。

跡取りはみんなサラリーマンになってしまうから、おばあちゃんが天ぷら揚げて、夕方には行列ができるほど評判のよかった店も、伝統を守っていた小ぢんまりとした素敵な工芸品店も、パパママストアも軒並みコンビニかチェーンストアになっている。

ビジネス上、大企業との戦いに勝つのは難しいこととはわかるけれど、親の店を継がないでスーパーに勤めて店員さんになって、店長に昇進するために一生懸命働く。商売が好きで、戦略を練れる知恵も才覚もあるのに、どうして親の店を継がないのだろう。彼らの気持ちが、私にはとても理解できない。

サラリーマンになって一生階段をかけ上がる人もいるだろう。それでも、大学で何を学んだのだろうか、仕事に生かせているのだろうかと悩むときが必ずくる。

現実に、最近は留学してMBA (Master of Business Administration = 経営学修士)を取りたいという二〇代後半から三〇代の人が、続けざまにカウンセリングにきている。会社から早期退職を勧告されたときに、自分の無力さに愕然としたと話している。

日本では、このままでは九九パーセントがサラリーマンになるというデータがあったけど、私は「何でサラリーマンになることが人生の目標なのか」と聞きたくなる。サラリーマンになるために生まれてきたわけではないのだから、何でサラリーマンが人生の目標なのか、もう一度改めて考えてほしい。

「自分に何ができるか、何をしたいのだろう」と考えてサラリーマンを選んでもいい。例えば、エンジニアとして自信があって、結果としてサラリーマンになるのも、もちろん一つの生き方。でも「何でもいいから、とにかくサラリーマン」では、将来絶対に困る。

就職戦線を勝ち抜くには「武器」がいる

一流大学の学生が、留学か就職かと悩んでいたときに、「商社に入りたい」と先生に相談したら、「入れるだろう。けどおまえ、一〇年後には、地球の果てでカニ売ってるで」と言われたという。

商社に運よく入っても、実力がなかったらアラスカやシベリアの果てで仕事をさせられる。カニを売るのも商社の仕事に違いはない。それでも、就職先を選ぶときにアラスカやシベリアで仕事したいと思う人はいない。

まあ一人や二人はいるかもしれないが、それは特別な理由があってのことだろう。普通の学生だったら考え込む。

彼も二年間アメリカに留学して、戻ってから商社に入った。二年遅れで入社したので、給料の合計で考えるとすごい差がある。そうすると「二年損したやないか」というのが一般的な考え方。確かに留学の費用を含めてプラスマイナスしたら、金銭的にはマイナスになる。

だけど彼の中身が違う。切磋琢磨して実力を磨こうと、どんな仕事でもどんどん引き受ける。とっとことっとこ、中国でもどこでも「はいよ」って、身軽にカバン一つで「チャーッ」と行って仕事をこなしてくる。

今の日本の就職状況は、彼のときより数倍も深刻になっている。実力がなければ一流大学を卒業しても運よく商社に就職することもできない。

アメリカの大学生も実力がなければ就職が見つけられないからハードに勉強する。それにアメリカは契約社会。全米でトップの大学を卒業しても、年収何万ドルという契約で就職する。終身雇用で入るわけでもない。

ボスが、仕事ができない、能力がないと評価すれば、「はい、さよなら」。ボスや同僚と反りが合わなくても終わり。官僚だって、大統領が替わったら全部入れ替えになる。

日本では、アメリカのビジネスマンは九時から五時までしか働かないと本気で信じられているようだけど、そんなことはウソ。工場で働くブルーカラーだったら、五時に終わってさっさと帰るかもしれない。でもビジネスマンは、危機感を持っているから驚くほどよく働く。日本のビジネスマンより残業、休日出勤の頻度が高いくらいだという。

それにいつレイオフ(一時解雇)になるかわからない。非常に景気のいいときに会社に入っても、次の年に業績が悪化したら本人の実力に関係なくレイオフになる。そういう意味でも保障がない社会である。

だからいつも自分の力で生きていくことを考えている。仕事を始めてから専門知識が足りないと思えば、大学院に入ってさらに勉強する。

日本でも、昔は東大を卒業したって就職口がなかったから、自分の力一本でしか生きていけなかった。就職することより自分の力でどう生きていくかを考えていた。

大学を卒業したら就職先があるというのは、ここ何十年間、ハングリー精神からの努力が実って、日本経済が上昇気流に乗っていたからなのだ。それが今後どれくらい続くかわからなくなっている。

それでも現実は、アメリカに飛び出したいと思っていても、サラリーマンなら一生安泰という幻想から抜け出せない学生がたくさんいる。

サラリーマンになることしか考えていないから、留学したいけれど、帰国後日本で就職先が見つからなかったらどうしようと心配する。学校の先生に相談したら、「アメリカの大学を出ても大卒扱いにならないから、職なんて絶対にない」というひどい話に脅かされて、本気で心配している。

「幸福」を阻んでいるのは「一流大学」?

日本では大学のことを最高学府と呼んできた。それはもう違うだろうと思う。最高学府はリーダーやプロフェッショナルを養成するところで、一割ぐらいの人がそこでしっかりと勉強すればいいのである。

今の日本は、猫も杓子も大学、大学。大学が最高学府であることはすっかり忘れられていて、高校を卒業した四割近くもの学生がともかく大学に行く。日本人は他国のことでも日本と同じように考えるから、欧米諸国でもたくさんの人が大学を卒業していると信じている。

実際は、ヨーロッパでは、一部の人しか大学に進学しないので、戦前の日本のように、ある種のエリートとして、またプロフェッショナルとして尊重されている。

アメリカには三五〇〇以上もの大学があるとしても、英語圏の主な国でいうと、イギリスには九七校しかないし、ニュージーランドなんかたった七校、オーストラリアだって四四校しかない。各国とも人口の一割程度しか大学に進まないので、そういう人たちがリーダーとなってうまく社会の調和が保たれている。

それにヨーロッパには徒弟制度が今でもあって、大学卒のエリートと負けず劣らずの権力と、栄誉や地位が獲得できる。もちろん幸せだって、大学とはまったく違う次元で存在している。

社交界にデビューしている超一流のデザイナーには、一〇代にお針子からスタートした人もいる。日本人の好きなイヴ・サンローランやクリスチャン・ディオールなどの一流ブランド店の仕立て部門に入って、そこで才能が認められて独立して、世界的に脚光を浴びるようなデザイナーが誕生したりする。

ヨーロッパのコックは、フランス料理、イタリア料理といろいろな国の料理を研究するので三、四カ国語は話せる。超一流のコックやソムリエになれば、地位も高くて、勲章だってもらえる。大学出のサラリーマンよりはるかに賛沢な生活を送れる。

何かで一流になって生きていこうとしても絶対悪くない。日本でも大工の棟梁だとか宮大工にも、もっとスポットが当たってしかるべきだと思う。

でも日本の学生は、幼いころから大学を卒業して一流企業のサラリーマンが一番の幸せだとインプッ卜されているから、なかなかそこから抜け出せない。

親たちも一流大学に入れば、子どもは幸せになれると信じ込んでいる。子どもの受験戦争に夢中になり、それで有名大学にでも入ろうもんなら親は鼻高々になる。

女子大の同窓会に行くと、「誰々さんの息子さんが、今年京都大学へお入りになりました」と紹介されて、みんなから「ワーッ」と拍手される。私はいつも「アホか」と思うけれど、親っていうのはメチャクチャ誇り高くて、子どもが受験に失敗したりすると、友だちとの集まりにも出かけたくなくなる。おかしな話ではあるけれど、これが本当のところ。

「大学に行かないと不幸になる」と考えられているような状況で、そのうえ東大や慶応大に入ったらもっと幸せというイメージが本当にある。本来、大学に行くことと人間の幸福とは何の関係もない。大学に行ったら幸せになれるわけではないから、大学に行かなくても不幸にならないのである。

肩書きは水戸黄門の「印籠」にはならない

大学を卒業してサラリーマンになって、のんびり仕事をしていれば一生安泰という考え方はもう通用しなくなっている。日本経済が下り坂になり、東大を卒業して官僚になれば一生安泰とか、早稲田大を出てサラリーマンになればエリートコースを保障されるなんてこともわからなくなってきた。

そういう意味ではすごくいいことなのかもしれない。日本では「一流大学を卒業すると幸せになれる」と信じすぎていた。

日本経済が下り坂になり、企業が能力主義、実力主義に切り換えると声高に叫んでいても一流大学卒業という肩書きで幸せになれるという思い込みからなかなか抜け出せないようだ。

留学先も全米でトップ10にランクされる大学でなかったら、日本に戻ってきても条件のよい就職先は見つけられないのではないかと考える。「トップクラスの大学でなければ日本に帰ってきても認められない」と大学のランクにこだわる。

もちろん、留学するときには、慎重に大学を選ばなくては結果的に時間も費用もムダになる。アメリカの大学にもピンからキリまであるので、トップクラスの大学に入れるならそのほうがいいだろう。自分をアピールするときに、卒業証書や資格は武器になる。それも強力であればあるほど有利に働く。

だけど、そのことですべてが解決するはずがない。日本は学歴偏重の社会で、東大はトップだと高く評価されていても、卒業生全員が成功しているわけではない。ちなみに、大学の評価を行っている『ガーマンレポート』では、世界の代表校と比べて、東大は上から四〇位ぐらいにランクされている。

アメリカのトップの大学でMBAを修得しても、それが水戸黄門の「印籠」には決してならない。そもそもこの世に水戸黄門の「印籠」なんて存在しないのだ。

肩書きに頼っていては、何かあったらすぐに自信をなくしてしまう。肩書きは自分を売り込むときのほんの一つの武器にすぎない。もっと大切なのは、努力をして得た知識と自分の力に自信とプライドを持つことである。そのために何が必要か、何をしなければならないかなのだ。

最近は頭のやわらかい、先を見通せる親たちは子どもの留学に積極的で、アメリカの大学や大学院で学ばせたいと考えている。日本の大学を卒業しても、国際舞台で活躍できるほどの知識は身につかないだろう。アメリカの大学で、世界で通用する知識を学んでほしい。創意工夫しながら生きていく知恵を若いうちにつけておかないと、将来、絶対に困ると判断している。

すでに企業は先行きが不透明でどのくらい成長するかわからなくなり、必要なときに必要な人材を採用しようとしている。

マスコミは就職状況が悪いことを天下の一大事みたいに騒いでいるが、これまでの何十年間はどの企業も業績が伸びることを仮定して、頭数を揃えることを優先させていただけのことなのだ。

企業は学校名にこだわらず、優秀な人材を採用するように切り換えているので、超氷河期の就職戦線といわれても、力のある学生は早々と内定をもらっている。

給料分をペイできる力のある人材が求められているのは非常に自然なことで、むしろそうでないとおかしいと思う。

サラリーマンになるために生まれてきたんか

留学しようかと悩んでる人は、サラリーマンとして生きることが幸せだと徹底的にインプッ卜されているから、日本のレールから外れることへの恐怖心は想像を絶するくらいすごい。

日本の大学を卒業すれば、就職できる会社もある。留学したらそういうチャンスさえも失うのではないかと思い込んでいる。話を聞いていると可哀相になってくるほど脅えている。

女性にしても同じで、日本から離れることを考えると怖くなると言う。留学したいけれど、いざとなると飛び出すのが怖い。希望の職種でなくても会社に勤めれば、とりあえず平穏無事な生活を送れる。それを捨てて留学して、帰ってきたときに仕事がなかったらどうしようと、就職のことばかり心配している。

客観的にみても能力がありそうで、学歴もすばらしい。英語力も、私がいま試験受けても「こんな点取られへんわ」と思うぐらい優秀な人でも、サラリーマンとして駒になることしか考えていないから、枠の外に飛び出すことにすごい恐怖心を持っている。

「あなたねえ、ちいっと頭のスイッチを切り換えなさい」。

今の日本で何を恐れることがあるのか。仕事を選ばなければ食べるのに困ることはないのである。

「帰ってきて食っていくのに、うどん屋に勤めてもええ」ぐらいの覚悟で留学すれば、得られることはあっても、失うものなんか何もないのだ。

「それにあんたほどの能力があって、何を恐れることがあるの。腕一本で生きていけないことがあるはずがない。何でそんなに自分をおとしめなければならなあかんの。もっとプライド持って生きなさい」とゲキを飛ばさなくてはならない。

日本から飛び出してアメリカで勉強すれば、サラリーマンに疑問を感じるかもしれない。サラリーマンになる方向ばかりを見つめていないで、視野を三六〇度に広げてみれば、潜んでいる才能を伸ばせるチャンスに巡り会い、生き方や考え方が変わる可能性もある。

いろいろな価値観や知識を吸収できることが留学の一つの醍醐味なのに、アメリカに行っても何も変わらない、ずっと同じではおもしろいはずがない。

帝塚山大学時代に文化人類学の先生が、「どの人にも、ものすごいええ運と悪い運がぐるぐる回ってくる。どの人にも同じように回ってくる。それを『これや』というのがなかなかわからないんや。そういうときのために、普段から虎視耽々としてなあかん。これはチャンスだと思ったときに、飛びかかる勇気もいる」と話していた。

それを聞いたときは、学生だったので「フゥーン、おもしろいな」と思っただけだった。いま振り返ってみると、確かに人生にはいくつかの岐路がある。転機は自分の力を試せる絶好のチャンスだった。あるときは、睡眠時間を削って勉強をした。先のことは何もわからなかったが、自分の力を信じてがむしゃらに働いたときもある。

もちろん、実際にはどうあがいても太刀打ちできない、運やチャンスなどで左右されてしまうこともある。それでも行動する勇気を持てずにいては、いい運もつかまえられないだろう。

人生に迷ったときには学生に戻れ

サラリーマンになって自分が自分でないようで焦りを感じる。会社の歯車になって、上司におべっかを使う自分がいやになり、このままでいいのだろうかと疑問を感じる。「あんたの出世はこれで終わりやで」という現実を突きつけられて、自分の無力さを痛感して大学院で勉強し直そうと計画する。

自分の生き方に迷い出したときに、たくさんの価値観が同居する世界に留学し、自分の可能性を客観的に見つめ、どう生きるか改めて考えてみたくなる。

 こういう行動をネガティブだと言う人もいるけれども、私はそうは思わない。逆に私は積極的な生き方だと思う。

それに学生ってすごくありがたい、いい存在だと思う。仕事を通して自分を生かすとか、自分を試すとかできないこともないけれど、仕事の結果にはどうしても金銭が絡んでくる。

私はビジネスは嫌いではないし、仕事だから金銭を計算するのは当たり前で、それが汚いなんてちっとも思ってない。けれども、金銭が絡んで何かをするということは、努力しても報われないことがたくさんある。

例えばセールスの仕事では、いくら努力したって「儲からへん」ことがある。「なんぼ売った」かで評価が下されてしまう。頭使って、創造力を働かせて企画を立てても、金銭として見返りのないことはいくらでもある。そういう意味では本当に厳しい。

こういうことだけを比較しても、学生は努力したらすべてが自分の身について、しかもちゃんと評価が得られる。だから、人生の中で何度か学生に戻れたら、すごくラッキーだと思う。アメリカでは、「人生に迷ったら、大学に戻れ」っていうぐらいなのだ。

自分が幸せになる方法は、行動してみないとわからない。日本から飛び出して新しいことを経験して知識を蓄えて、いろいろなことを感じれば感じるほど自分の幸せのあり方が見えてくる。

外国でいろいろな人を見ていると、「これじゃ幸せじゃないと、誰が言えた義理か」と思えるようなことがたくさんある。

戦争をしている国に行ったら、「何でもいいから生きて息子が帰ってくればいい」と思うのは当然。命を張って生きている人たちにしてみたら、お金も何もいらない。とにかく生き延びることを考えている。戦争してない国の人が、「そんなの人生と違う、それでは幸せじゃない」なんて言えるわけがない。

基本的にはみんな幸福になりたくて、楽しく笑って暮らしたいんであって、その笑って暮らす基準や楽しさの尺度がそれぞれ置かれた立場によって違うだけなのだ。

幸福感が違うことを認めないといけないのだけれど、日本人はいつもひととみんな一緒にしたがる。笑う基準、うれしいと思う基準、幸福感、それを一緒にしたがる。何でやろ。

(著書「アメリカ留学で人生がおもしろくなる」より抜粋)

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著者情報:栄 陽子プロフィール

栄 陽子留学研究所所長
留学カウンセラー、国際教育評論家

1971年セントラルミシガン大学大学院の教育学修士課程を修了。帰国後、1972年に日本でアメリカ正規留学専門の留学カウンセリングを立ち上げ、東京、大阪、ボストンにオフィスを開設。これまでに4万人に留学カウンセリングを行い、留学指導では1万人以上の留学を成功させてきた。
近年は、「林先生が驚いた!世界の天才教育 林修のワールドエデュケーション」や「ABEMA 変わる報道番組#アベプラ」などにも出演。

『留学・アメリカ名門大学への道 』『留学・アメリカ大学への道』『留学・アメリカ高校への道』『留学・アメリカ大学院への道』(三修社)、『ハーバード大学はどんな学生を望んでいるのか?(ワニブックスPLUS新書)』、ベストセラー『留学で人生を棒に振る日本人』『子供を“バイリンガル”にしたければ、こう育てなさい!』 (扶桑社)など、網羅的なものから独自の切り口のものまで、留学・国際教育関係の著作は30冊以上。 » 栄陽子の著作物一覧(amazon)
平成5年には、米メリー・ボルドウィン大学理事就任。ティール大学より名誉博士号を授与される。教育分野での功績を称えられ、エンディコット大学栄誉賞、サリバン賞、メダル・オブ・メリット(米工ルマイラ大学)などを受賞。

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