留学前に知っておくべきアメリカの教育システム 後編 ~日本とは異なるアメリカの大学と大学院~

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大学独自の入学基準を知る

アメリカは、誰でも平等に教育が受けられるシステムになっている。だからといって願書を出せばどんな大学にも入学できるわけではない。大学にはそれぞれ教育方針により独自の基準があり、それによって入学が審査される。

一般的な入学審査は、高校の成績、SATやACTのスコア、推薦状、エッセイ、面接、芸術系なら作品で行われる。留学生はアメリカの学生と同じ審査のほかに、英語力を見るTOEFL®で総合的に判断される。

ハーバード大学のようなトップクラスの大学には、高校の成績がほぼオール5かつハーバード大学の卒業者数人からの推薦状付き、さらには面接で素晴らしいパフォーマンスができる学生達がずらりと願書を出してくるので、留学生ではなかなか太刀打ちできない。

日本では試験結果によって合否が決定的になるからだろうか、アメリカの入学基準を理解できないらしく、TOEFL®を入学試験のように勘違いする。「TOEFL®でいい点を取らないと、通らないぞ」と考える。

入学試験ではないのだから、通るとか、通らないとか考えることがまずおかしい。TOEFL®は単なる英語の実力が点数で出てくるだけで、大学は参考にする程度でしかない。

極端な人は、TOEFL®のスコアさえよければ、高校の成績なんかまったく関係ないと思い込んでいる。TOEFL®のiBTスコアで六〇点台を取っても高校の成績がオール3では、トップクラスの大学に入れない。

アメリカの大学は卒業するのが難しいことは広く知られているが、それでもまだまだ甘く考えている学生が少なくない。日本の大学より多少難しいくらいに考えているようなら、脅しでも何でもなくて、一年足らずで退学になってしまう。

アメリカの大学は、ハードに勉強しないと卒業なんてできない。アメリカの大学は秋、春の二学期制で、九月に秋の学期から始まる。一学期は週にして一五、六週間で、だいたい七、八週間で中間テストを受ける。

授業といえば「次回の授業まで、何十ページ読んでこい」、厳しい教授だと副教材を「何百ページ読んでこい」と、宿題が山ほど出る。

定期的に「クイズ」という小テストもあって、そのうえ期末テストの前後にレポートも提出しなければならない。そして学期末に期末テストを受ける。

中間テスト、小テスト、期末テストとレポートの成績が総合されてA、B、C、D、Fで評価される。全科目の成績がC(GPA2.0)以下だと仮及第、つまり、「プロベーション(Probation)」となる。次の学期でも平均がC以下の成績だと「はい、さようなら」。有無を言わせず退学である。

だから学生はGPAに苦しむ。GPAというのは、成績のA、B、C、D、Fを4、3、2、1、0の点数に置き換え、それぞれの科目の単位数を掛けて合計したものを総単位数で割ったもの。この数字によって卒業が左右されるので、アメリカの学生はほんとに真剣勝負で勉強に取り組んでいる。

クラスによっては出席も厳しくチェックされ、三回以上無断欠席したらまず単位は取れない。日本の大学と同じように考えて、試験の前に出席してちょっちょっと覚えて辻棲合わせをすればいいという感じでは、秋と春の学期が終わったら確実に退学になっている。

学費は日本の大学と比べても決して高くない。秋と春の二学期の学費、寮費、食費で州立大学だと約三万五○○○~四万ドル、私立大学でも平均四万五○○○ドルぐらいなので、東京にマンションを借りて私立大学に通うのと同じくらいの費用で留学できる。夏休みの費用、教科書代を含めても、日本円で三○○万円から三五○万円ぐらいを用意すれば十分に足りる。

州立大学と私立大学では学費にも差があるが、州立大学は学生数が多いので、とっても大きな階段教室でぱっぱっと授業が進む。こういうなかで特に初年度は、留学生がC平均以上の成績を取るのは並大抵のことではない。

私立大学ではクラスが少人数で、教授たちも親切で、チューター(個別教師) をつけてくれたりもする。特に田舎にある私立大学は、寮の設備もよく留学生にとっても居心地がいい環境といえる。ただ小規模の大学はカリキュラムが少ないところが欠点。

小規模の大学でアメリカの授業やシステムに慣れてから、単位を大学間で移動できるシステムを利用して、三年生から規模の大きな州立大学に編入すると、いろいろなカリキュラムを選択できてしかも学費の節約にもなる。

それに、アメリカでは在学期間が決められているわけではなく、大学の要求する単位数を取れば卒業できる。必要単位数は大学で異なるが、一二○~一二八単位が普通である。これはアメリカ人学生でも留学生でも同じ。

日本の大学は在学期間が決められているので、三年間で必要な単位を取っても、四年間在籍しないと卒業できない。四年目は学校に行かなくても学費を支払う。

アメリカは一学期ごとに学費を支払うので、当たり前だが単位を取れれば卒業となるので、三年で卒業してしまえば、四年目は学費を支払う必要がない。

アメリカの大学にもピンからキリまである

アメリカには三五○○校以上もの大学があって、誰でも高等教育を受けられるようになっている。もちろんアメリカの大学もピンからキリまであって、州立大学でもトップの学生しか入れないところから、州に居住している人であれば誰でも入れる州立大学やコミュニティ・カレッジ(Community College)もある。

州立と私立を総合した全米レベルで見ると、ハーバード大学がトップで、アメリカの親も功なり名を遂げると、子どもを東部の有名私立大学に行かせたがる。南部の出身のクリントン大統領も、大学はジョージタウン大学(Georgetown University)で、大学院はイェール大学を卒業している。

ただアメリカの学生は、単純に全米レベルを基準に大学を選択していない。州は日本の県とは比較にならないほどの力を持ち、いまだに州によって税金も法律も異なるから、例えば弁護士になるには州のライセンスが必要になる。

ミシガンに生まれてミシガン州で弁護士になるのであれば、わざわざハーバード大学に行かずに、ミシガンのロースクール(Law School)で勉強する。あるいは、州で出世したい学生は州のトップの大学を目指す。

州立大学のレベルは、Universityのあとに州の名がついている大学が州の中のトップで、ミシガン州でいえばUniversity of Michiganは、州立では全米のトップ10に入るくらい難しい大学である。

二番手はMichigan State Universityのように、大学名にStateがついている。三番手はEastern Michigan Universityのように、さらによけいな名前がつく。州立大学のレベルは、ほとんどこのような仕組みになっている。

アメリカには三五○○の大学があり、全部で六○○以上の専門分野がある。だから、どんな分野も大学のたくさんの選択肢のなかから選ぶことができる。

また、州によって教育にレベル差があり、ミシガン州から比べるとワイオミング州などは教育レベルが低くなる。レベルとしては高くなくても侮れないのがアメリカの大学で、州のトップ大学には将来アメリカを担うようになる一握りの優秀な学生が必ずいる。

総合的には教育レベルがあまり高くないところでも、特殊な分野では群を抜いている大学もある。ワイオミング州にあるUniversity of Wyomingは、農学、地学の分野では高く評価され、他州からも学生が集まってくる。

そのほか音大や芸大のような芸術系の専門大学があり、才能を試したいという学生が世界中から押しかける。ニューヨークにあるThe Juilliard Schoolは音楽、ダンス、ドラマの分野で、ボストンにあるBerklee College of Musicは、ジャズの大学として大変有名である。

日本人はこういうことを全然考えずに、単純にアメリカの大学のレベルを判断したがる。東大を頂点にした三角形に当てはめて「パパッ」と判断しようとするけれど、そんな簡単にアメリカの大学レベルは割り切れないのである。

学生が相談にきて「親がトップクラスの大学でないと納得しない」と言うので、「ふーん、あんたの親、アメリカの大学のこと、どれぐらい知ってるの? アメリカでこの大学はトップクラスだけど、親は知ってると思うか?」って、ちょっと意地悪に聞いてみるとほとんど答えに詰まる。

「じゃ、あんたは知ってるか」と聞くと、本人も知らない。

日本で知られているアメリカの大学は、十数校にしかすぎないのである。ただ、日本人が知っているような有名な大学に、絶対入れないということではない。優秀な学生なら、トップレベルの有名校に入れないこともない。だがリスクが高すぎるのだ。何しろ、留学生たちはいろいろな意味で小学校一年生に近い。

英語のハンディがあるから、とてもではないがアメリカの選りすぐりの学生と肩を並べて同等には戦えない。英語で知識を詰め込みながら、スピードの早い授業についていくだけで精一杯で、ディスカッションで何も言えなくて、どんな惨めな思いを味わうか。

それでも、どうしてもトップレベルの有名校で勝負してみたいのであれば、日本で五年くらい時間をかけて準備する覚悟がいる。

留学生は英語のハンディがあるのだから、知名度やレベルにこだわらず、真ん中より下のレベルまで落とさなくても、真ん中よりちょっと上くらいの大学を選ぶといい。そこで二年間一般教養を勉強して学力、英語力、それに生活力をアップさせる。

アメリカの大学の授業やノートの取り方、ディスカッション、パフォーマンスの方法を身につけてから、レベルの高い学校に編入することを考える。

「留学先は有名校でないとアカンと思い込まずに、アメリカのシステムで柔軟に留学先を選択したほうが賢明なんよ」。

平等にチャンスを与えるコミュニティ・カレッジ

アメリカでも教育に熱心な親たちは、一生懸命働いて子どもに高いレベルの教育を受けさせる。あるいは親に金銭的な余裕がなければ、奨学金制度が発達してるので、奨学金をもらって進学する学生もいる。

それでも大学に行かない人はたくさんいて、義務教育の高校を卒業すると社会に出て働く。アメリカの公立の義務教育は、日本の中学校を卒業したのと同程度で、それほどレベルの高いことまで勉強するわけではない。

しっかりした仕事をしようとしても、コンピュータの知識にしても何にしても足らないから、ウェイトレスのような単純労働になってしまう。

それもそれなりに悪くはないのだけれど、日本では、例えばガソリンスタンドで真面目に働けば、店長に昇格することもある。工場でも責任ある職種に出世する道も開けている。

アメリカでは長いこと真面目に働いても、ブルーカラーからホワイトカラーに昇進するチャンスはほとんどない。肉体労働がいやになった、接客業には向いてない、その日暮らしでは先行きが不安で困ると考えると、何かを学ぼうとコミュニティ・カレッジに行く。

学費も非常に安く、望めば誰にでもチャンスを与えるための象徴的な学校がコミュニティ・カレッジなのである。州の居住者であれば、高校の成績がどうであっても入れてくれる。

職業訓練的な色彩が強くて、必ずしも卒業することを目的にして勉強するのではなくて、一年間そこで技術を習えばいいと考える人もたくさんいる。

そういう学生が多いから平均年齢が高く、卒業する確率は低い。コンピュータ技術を一年ぐらい勉強して、コンピュータプログラマーを募集している会社があれば就職してしまうからだ。

それでもコミュニティ・カレッジで勉強して、四年制の州立大学に編入して、もっと高度なエンジニアを目指す人もいる。さらにごくわずかではあるが大学院まで行く優秀な学生が必ずいる。

「ベトナムから流れてきても、カンボジアから流れてきても、一〇年後には大統領の補佐官になれる」というのが、アメリカの移民の合い言葉になっているように、非常に優秀な少数の人ではあるが、そういう道が開かれているところは日本と根本的に違う。

好きなことを試してから専攻を決められる

アメリカの大学の目的は広く学問の土台を作り、知的バックグラウンドを養うことにある。その中核をなしているのが、リベラルアーツ・カレッジ(Liberal Arts College)である。

リベラルアーツ・カレッジには、音楽、アート、演劇、体育、コンピュータサイエンス、福祉などたくさんの専攻科目があるので、いろいろな角度から自分の才能を試せる。

総合大学のなかにあるArts & Sciencesという学部も、リベラルアーツ・カレッジと同じで、好きなことを試してから自分の方向性を決められるシステムになっている。

例えば、アートが好きで勉強してみたいと思っても、やりたいことが漠然としていて、油絵なのか彫刻なのかも分からない。才能があるかどうかも試してみないとわからない。

リベラルアーツ・カレッジではアートを専攻すると、油絵、水彩、シルクスクリーン、陶芸、彫刻、それこそインテリアデザインに至るまで勉強できる。

それに油絵を勉強していて、音楽をやりたくなったときには、ピアノとアートの二つを同時に専攻することもできる。日本ではそういう人をマルチ人間と呼んでいるが、芸術的感性の鋭い人に、絵と音楽の両方に才能があっても不思議はない。

リベラルアーツ・カレッジでは、興味のあること、やりたいと思ったことを試せることが最大の特徴。専攻するときに、オーディションも作品提出も要求されないので、本格的な勉強をしていなくても、極端な話、ピアノを弾いたことがなくても、絵が下手でも選択することができる。

アメリカの大学は一、二年で一般教養を勉強して、三年から専攻科目の勉強を始める。リベラルアーツ・カレッジで、三、四年に二〇科目ぐらいをこなさなければならないが、例えば、七、八科目は第一専攻から、また五、六科目は第二専攻から、そして残りは自分の好きな分野から選択できるようになっている。

ピアノを第一専攻にして、コンピュータサイエンスを第二専攻にできる。ピアノを専攻したけれど才能がないと思えば、途中で専攻を変更することもできる。

また、多くのリベラルアーツ・カレッジは田舎にあり、寮を完備しているので、学生は自然に囲まれた環境のなかで勉強することができる。

何のために生まれてどこへ行こうとしているのか、自分がどういう人間なのかを考える。あるいは国家や親とのかかわり、何で勉強したり働いたりしなければならないのかを模索させて杜会に入る準備をさせたい。

そういう理由から、アッパーミドルといって中産階級の真ん中よりちょっと上くらいのアメリカ人たちが子どもをリベラルアー ツ・カレッジに入れる。あるいは母親が卒業した学校だからという理由で、子どもを入れたいという親もいる。

アメリカでは親も子どもも二世帯住宅を建てて一緒に住むとか、結婚しない子どもをいつまでも家に置いておくという発想は少ない。子どもは家を出て独立するのが当然と考えている。

親は子どもが自立するためには、義務教育を終えた一七歳や一八歳で将来の目標を決めずに、リベラルアーツ・カレッジで基礎的な知識を学んでから将来の方向性を決めさせる。

それで、ビジネスの世界でトップを狙いたい、あるいは医者や弁護士になりたいのであれば大学院に行きなさい、という姿勢が根底にある。したがって、アメリカではMedical School(医学部)などの専門教育は、大学院からしか始まらない。

専攻科目によって異なる英語力

アメリカでは英語力を基準に入学審査しているわけではないから、TOEFL®のスコアがすべての決め手になるわけではない。ただ英語で授業を受けるのだから、中学、高校で勉強したくらいの英語力は必要である。どの程度の英語力が求められるかは専攻科目による。

コンピュータや教育学は、コンピュータや教育についての知識を学ぶのだから、先生は下手な英語でもがまんしてくれる。ところがプリントジャーナリズムのように、ジャーナリストになるために英語での表現力を学ぶのであれば、根本的な英語がおかしかったり下手だったら先生も腹を立てるが、それ以前にその学生はついていけない。

例えば、プリントジャーナリズムのテストでは「文章を二〇分読んで、残りの二〇分で社説風にまとめるように」と、コンピュータが置いてある。そういう状況で、自分の考えを簡潔にしかもビューティフルな文章にまとめるには、非常に高度な英語力が必要になる。TOEFL®のiBTスコアでいえば、一〇〇以上でないととてもではないが無理。その点アー卜や数学は英語力不足でもやれる可能性は十分ある。

「アメリカ映画製作の勉強をしたい」という相談も多いが、勉強できるような設備と先生を揃えているのは、南カリフォルニア大学(University of Southern California)、ニューヨーク大学などほんの一部の学校に限られている。

南カリフォルニア大学は高校での成績が優秀であれば、英語ができなくても入学させてくれる。でもこれはあくまで大学への入学チャンスを手に入れただけのことで、すんなりと映画科に入れるわけではない。

第一の関門が英語力である。南カリフォルニア大学では新学期の九月に、留学生全員に実力試験(Placement Test)を行う。その結果によって、留学生のための英語のクラスをいくつ取らねばならないかが決まる。これは、専攻が何であっても同じ。ただし、映画や演劇などの専攻では、入学の時点でTOEFL®一〇〇点以上を要求される。

では、TOEFL®一〇〇点に満たない子が別の専攻で入学して、それから映画科に編入すればよいかというと、そんな簡単な話ではない。日本でTOEFL®四五点ぐらいの実力の子が、一〇〇点まで上がる確率はまあ十分の一。ということは、そこに一〇人が入っても、一〇〇点をクリアするのは一人か二人しかいないことを覚悟して行かなくてはダメ。

それに南カリフォルニア大学は学費が高い。アメリカでもトップクラスで、学費と寮、食費で約六万二〇〇〇ドル(2014年現在)。それに都会で暮らすことになるから、おそらく年間七万ドルくらい必要になる。それが英語の勉強しただけでパアになる可能性が高い。

したがって、南カリフォルニア大学は英語力に関係なく入学できても、映画科への道はとてもとても遠い。

映画製作の勉強を希望する若者は最近特に多い。すでに作品を持っている人も、オーディションのように、入学前にある程度才能が試され、ほんの一握りの人が関門をパスする。作品も殺到しているから、最初から作品を見てもらえるわけでもない。

ビデオでも何でもいいのだが、どういうものを作ったかを書いて提出する。例えば、登校拒否をテーマにした場合、登校拒否は現代病という視点で作ったか、あるいは登校拒否はこうすればなくなるなどと、問題提起したいことを具体的に書いて提出する。

たいがいはそれで「ペケ」になってしまう。よっぽど教授の興味を引くような資質があると、認められて入学を許可される。

アメリカ人でも映画科に入れるのはほんの一握りの学生。作品の評価も運にも左右されるから、努力の報われない人はたくさんいる。

例えば、作品の評価だって、見た人の主観によるわけだから、別の人が見たらすごくいいと思うものでも、たまたま審査した人がよくないと判断することだってある。だから才能があっても運のない人がいっぱいいる。

私は、留学で夢がすべて得られるとは思っていない。夢を実現させるには、多大なお金と時間が必要で、リスクが大きすぎることを改めて考えてもらいたい。

映画の勉強をしたいという学生は、映画製作の勉強ができないのだったら留学する意味がないのか、それとも留学が第一で、できれば映画をやりたいのか考えてから決めたほうがいいだろう。

映画製作ではなくても、留学することに意義があるというのであれば、田舎の小さな学校でコミュニケーションやドラマを勉強して、その間に作品を制作してニューヨーク大学とか南カリフォルニア大学に送り、審査してもらう方法もある。

あるいは第一希望を映画製作にして、第二希望は、例えばラジオ・アンド・テレビジョンかテレコミュニケーションにすることもできる。ボストン大学(Boston University)のラジオ・アンド・テレビ学科の評判は高いが、成績さえよければ三年から編入できる。留学が第一だったらそれも一つの方法である。

映画製作の勉強が第一だったら、日本の大学か、あるいは学歴を問わずに映画を作っているグループもたくさんあるので、そういうところでともかく提出できる作品を作る。それからでなくては話にならない。

悪質なエージェントは、才能があるかどうかわからないし、英語もできないからと、結局は英語学校かコミュニティ・カレッジに放り込んでいる。それで、映画の勉強もできないままロサンゼルスの日本料理店でアルバイトしている子もたくさんいる。

プロフェッショナルになるための大学院

アメリカの大学では専門分野のさわりを勉強するくらいなので、専門職に就くための知識は四年制大学では必ずしも十分ではない。

プロフェッショナルになりたい、あるいはビジネスの世界でエリートを目指す学生は大院で勉強する。メディカルスクール(Medical School)、ロースクール(Law School) は大学院から始まるので、医者や弁護士になりたいのであれば、やはり大学院に進む。

大学院(Graduate School) はプロフェッショナルを養成するところなので、分野によってはProfessional Schoolと呼ばれ、一般には卒業すると必要なカリキュラムの修得数によって、修士(Master)とその上の博士(Doctor)という学位が得られる。

アメリカでは親が教育熱心で、経済的に余裕があったりすると多くの学生が大学院へ進む。あるいは大学を卒業して実務経験を重ねたうえで、三〇歳ぐらいになってから大学院へ進学する人もたくさんいる。

アメリカの給与制度は能力給なので、勤続年数によって給料が上がるわけではない。優秀な秘書として評価されても、秘書という能力に対して給料が払われるので、優秀だからといってマネージメントを任されることはない。

それで「経営学の知識がなくては管理職になれない、もうちょっとコンピュータの知識がないと昇給できない」というような理由から大学院で勉強する。

大学院は全米に一二〇〇校もあり、奨学金、ローンの制度が充実しているから、大学院へ戻ることも非常に簡単で、そういう意味では望めばいつでもという感じだ。

日本の大学院は研究室に入り授業も何もないが、アメリカの大学院は大学生と同じように勉強する。大学の一年、二年、三年、四年プラス(大学院の)五年、六年、七年というイメージで、大学四年生と大学院の一年生が同じクラスになることもある。

また、日本のように東大から東大の大学院へ、慶応大から慶応大の大学院へというケースはほとんど見られない。ハーバード大学で博士号を取っても、そのままハーバード大学に残る学生はまずいない。別の大学でそれなりの業績を上げてからハーバード大学に戻る。

日本のように大学も東大、大学院も東大、博士号も東大で取って、そのまま東大に残ることはない。

州立大学でも大学院はクラスが少人数で、ちゃんと担当の教授もついて親切に指導してくれる。特にトップクラスの州立大学や有名な私立には、研究者として世界的に名を成している教授から学ぶことができるので非常に価値がある。

費用は州立大学の大学院で、二年間で生活費も含めて七〇〇万円くらい用意しておけば十分である。

東大卒でも「可」ばかりの成績ではハーバードは無理

大学院は大学での成績、GREのスコア、エッセイ、推薦状によって入学審査が行われる。なかでも一番問題になるのが大学での成績。

日本では学校の成績はあまり重要視されていないし、卒業できれば成績は問わない風潮がある。大学受験に成功するには学校の成績をよくすることに熱中していたら間に合わないと平気で言う。

試験に通ればそれで「よし」という感覚しかない。日本では就職のときも大学の成績は、あまり関係ない。だから成績の悪い学生がたくさんいる。

大学の成績を見ながら、「こう成績悪かったら難しいなあ、これは大変や」と私が頭の中で考えながら、ぶつぶつ独り言を言うのを聞いて怒り出す子がいる。

慶応大だとか津田塾大の学生で、TOEFL®のスコアも六〇以上で、英語にも自信を持っていると食ってかかってくる。

「あんた腹立ててもしょうがないよ。この成績を見てあんたの能力をどうのこうのと評価しているのと違うよ。アメリカは成績を見るんだから、大学院に行きたいならもうちょっとリラックスして、アメリカのシステムで考えないとあかんのよ」と落ち着かせなければならない。

日本ではトップレベルの学校に通っていれば、「東大生なの、すごい」って感じで評価する。成績のことを尋ねる人はほとんどいない。それに日本では大学の成績によって、本当に能力があるかどうか判断できない。成績のよい学生は、真面目に勉強していると評価はできるが、はたしてすごく優秀なのかどうか。

「成績のペケだった学生が、ほんまにアホだとも決めつけられない」。だけどアメリカでの評価は違う。東大卒でも成績が悪いと「ダメ」って断られる。

アメリカに電話かけて「東大は日本ではトップレベルの社会的にプレステージの高い学校で……」と交渉しても、「マレーシアにはマレーシアの事情が、中国には中国の事情がそりゃあるだろう。アメリカの大学院に入りたいなら、アメリカのシステムを理解してくれないと困る。日本人のためにやってるんじゃないんだから」と、「いらないものはいらん」とそっけない言葉が返ってくる。

アメリカでは大学の成績が悪いと、有名な教授のいるような大学院にはとても入れない。それでアメリカの教育レベルの高い親や上昇志向の強い人たちは、子どもの大学の成績をすごく気にかける。

『ビジネスマンの息子への三〇通の手紙』という本の中で、日本人にはちょっと信じられないほど、父親が息子の大学の成績を「きゃあきゃあ」言うところがあるけれど、大学の成績が最後の要になるからだ。大学の成績が悪いと、エリートビジネスマンになる芽も摘まれてしまう。

大学の成績とバックグラウンドが要になる

大学院の合否は大学の成績で左右される。成績はB (八九から八〇点)平均以上でないと難しく、レベルの高いところはど限りなくオールAに近い成績を要求する。

日本から留学するときには、大学の成績をアメリカ方式のA、B、C、Dに換算して提出する。アメリカの採点方式では、Aは一〇〇から九〇点、Bが八九から八〇点、Cが七九から七〇点となっているが、日本の採点方式は、ほとんどの大学で八〇点までが優、七〇点までは良で、アメリカの採点方式より一〇点ずつ甘くなっている。

一〇点ずつ甘い評価だが、アメリカでは一応、優はA、良はBとして認めてくれる。それと日本の大学の成績証明書は英文になると優、良、可しか出てこない。不可は全部消えているので、これでも得する。

大学院の入学審査で、もう一つ問題になるのがバックグラウンド。大学院では大学とは「まったく別の専攻でもよろしい」となってはいても、バックグラウンドを考慮して審査される。

例えば、コーネル大学(Cornell University)の大学院にはホテルマネージメントがあって、ここの卒業生は、それこそ世界の有名ホテルのトップの座を独占している。優秀な学生が集まってくるから、入学するには最低一年はホテルやレストランで働いた経験を要求される。

イェール大学の大学院の演劇学部(Yale School of Drama)は、世界でもトップクラスのアーティスト、脚本家、プロデューサーを養成している。それだけに入学審査は厳しく、人の心がわからなくては演じることも、脚本を書くこともできないということから、ゴミ拾いから血洗いに至るまで、さまざまな職業を経験していることが求められる。

最近、希望者の多い心理学(Psychology)でいえば、大学でだいたい三〇単位近く心理学の基礎的な科目を取っていることが望ましいとなっている。バックグラウンドがなくては入学審査も受けられないかといえば、バックグラウンドがゼロでも願書は提出できる。

提出はできるが、アメリカの大学生は、例えば大学で経済学を専攻していても、選択科目がたくさんあるので、心理学の単位を取っていたりする。大学で心理学をまったく勉強していないのに、大学院で心理学を選択するというのは非常にまれなケース。

ところが日本の大学生は、経済学を専攻していると心理学の単位を取るのは難しい。心理学の基礎を学んでいる学生と、バックグラウンドゼロの学生が競争してどちらが選ばれるかとなると当然、バックグラウンドゼロの学生が蹴られる。これが競争の原理である。

それでも、どうしても勉強したいのであれば、方法はいろいろ考えられる。心理学というよりカウンセリングを勉強したいのであれば、教育学のなかのカウンセラーエデュケーションを選択する方法も一つ。

カウンセラーエデュケーションは大学院からしか始まらないから、アメリカの学生もバックグラウンドがゼ口、こういう専攻は比較的入りやすい。

どうしても心理学を選択したい、時間的に余裕もあるというときには、通信教育か放送大学、あるいは大学の二部で心理学の基礎科目を勉強しておく。

それで心理学のバックグラウンドをプラスアルファして、日本の大学の卒業証書を盾に願書を提出する。こういう方法も可能性として考えられる。

やり方はいろいろあるのだから、簡単に諦めてはいけない。

九ヵ月でも修士号を修得できる

大学院への留学は、多くの専門分野は二年で修了できる。三年かかる人はめったにいないから、二年間の学費と生活費を合わせて七〇〇~八〇〇万円ぐらいの予算で、修士号が取れることになる。

大学院も大学と同じように、単位数を取れば卒業できる。必要単位数は少ないところで三〇単位くらいなので、すごくハードに勉強すれば、秋と春の二学期で卒業することも可能である。

実際に秋と春学期の九ヵ月で、MBAを修了した留学生もいる。例えばMBAだとして、卒業までに三〇単位必要であれば、秋、春の学期にそれぞれ一五単位ずつ取る。ただし、一五単位取るということは、一科目が三単位として一学期に五科目を取ることになるので、並大抵の勉強ではとっても消化できない。

「一学期に五科目も取ると、それはそれは大変。起きている時間のすべてを勉強にあてるのでなければ、とてもじゃないが単位は取れないわね」。

一科目ごとに資料を山のように読んで、考えをまとめて小論文を書き上げなければならない。四ヵ月しかない一学期に、毎日の予習、宿題と授業をこなして、さらに小論文を五つ書き上げるのは、経験してみると分かるが、想像を絶するほどの努力をしなければとても無理。

アメリカの留学生活を楽しんでいる時間はまったくない。九ヵ月でMBAを修得した男性も、「アメリカは大学の教室と図書館と寮だけしか知らない」と話している。

彼は仕事のためにMBAの肩書きが必要で、しかも奥さんと子どもは日本に残して単身渡米していた。そういう事情から、日本に早く戻りたい一心で、がむしゃらに勉強したのだという。

彼のようなケースは別にして、普通の学生ならそんなに極端に走ることはないと思う。日本人の悪い癖で、早く卒業できたことに対して賞賛する傾向がある。

「能力があることと、早く卒業してしまうことは別だと言ってるんだけど、なんてったって日本人はせっかちで、早く、早くというのが好きやね!」。

四年制の州立大学を二年八ヵ月で卒業して、日本で就職した女性は、アメリカで学生だったときに、もっといろいろなことを経験しておけばよかったと話している。仕事を持って金銭的に余裕ができたら、今度は時間がない、休暇が思うように取れないと嘆いている。

ほとんどの人がそういう事態に陥ると、「ああ、惜しかったな、アメリカの学生だった特権を活用して、ヨーロッパやメキシコに旅行しておけばよかった。いろいろな国の留学生と出会う機会があったのだから、もっと友だちを作っておくのだった」とぼやいている。

学生として外国に住んで、スリルとサスペンスと興奮に満ちた生活を送れるなんて、そう人生の中で何度もあることではない。私の経験から言っても、どんなことが起こるか予測できなくて、スリルとサスペンスに満ちていて、毎日が緊張の連続だった。だからこそ刺激的で、日本では絶対にできない楽しい経験もする。

ところがほとんどの人は、目先のことばかり計算したがる。修士号をさっさと取って、帰ってきて仕事を見つけたい。そうでなければ「留学なんてムダや」と言う人もいる。

「何でかねえ。留学によって得られる収穫は、肩書きや就職以外にもたくさんあるのに。それに人生なんて、ある意味でムダに思えるようなことの積み重ねがあって楽しくなるのにねえ」。

(著書「アメリカ留学で人生がおもしろくなる」より抜粋)

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栄陽子プロフィール

栄 陽子留学研究所所長
留学カウンセラー、国際教育評論家

1971年セントラルミシガン大学大学院教育学修士課程を修了。帰国後、日本で留学カウンセリングを立ち上げ、留学指導を行い、これまでに7000人以上の留学を成功させる。留学関係の著作も多数。 » 栄 陽子留学研究所について