アメリカの高校に留学して初めての帰国。そこに待ちかまえていた悲劇とは?
こんにちは、Ayakoです。私はマサチューセッツ州の西部にあるMiss Hall's Schoolという小さな高校に留学しています。
今回は、留学1年目の冬休み、日本に帰国するときに起きた悲劇についてお話しします。
半年ぶりの日本!
家族と離れて生活を始めて6か月、初めて日本に帰れる日がきました。
冬休みです!
留学の前からお正月に日本に帰ることはずっと決まっていたのですが、コロナ真っ只中で入国制限があったこともあり、直前まで帰れるか帰れないかがはっきりしない日が続きました。毎日、新しい株のコロナが発見されないことを祈り続けました。
もし帰れるとしても、日本に入国するのが簡単ではなく、コロナのワクチン接種証明書や陰性証明書などたくさんの書類が必要でした。日本に出発する前日に学校の近くの病院でテストを受け、無事陰性の証明書をいただきました。
初めての帰国に胸を膨らませながら、パッキングを進め、すべての必要な書類を準備しました。私の学校から羽田に帰るには、朝の3時に学校を出るとちょうど日本時間の午後に羽田に到着でき、一番効率よく帰れることがわかったので、その日は寝ずに真っ暗な中、朝3時に寮を出ました。
朝3時の学校
日本に入国できない!?
学校から近くの空港までは2時間弱なので、先生に車で送ってもらいます。こんなに朝早くに出る人はいないので、私1人が車に乗っています。
1人での海外の空港は初めてだったので、チェックインや手荷物の受け渡しなどずっとドキドキしていました。
やっと自分の番が来て、パスポートを見せて、ワクチン証明書を見せて、陰性証明書を見せたとき、少し係員さんの表情が曇り、「あなた日本に行くのよね?」と聞かれました。
ほかの人はどんどん手続きが終わって搭乗ゲートまで進んでいるのに、私はそこで10分以上待たされました。そのときの英語力はまだまだだったので、何を係員同士で話しているかは正確にわかりませんでしたが、なんとなく嫌な予感がしました。
私があまりにもちんぷんかんぷんで受け答えができなかったので、デルタ航空の人が日本語を話せる係員を呼んできてくれました。その人が私に伝えたのは、「この陰性証明書では日本に入国をすることができません。日本の政府が定めた特定の証明書でないと日本に入国できないので、この飛行機に乗ることはできません」とのこと。
朝6時の空港で、不安と闘う
私の頭は真っ白になり、一旦列から外れ落ち着くことができる場所を探し、すぐ母に電話をしました。
「私、今日帰れないかもしれない」と。母の声を聞いた瞬間涙が止まらなくなりました。
帰るこの日を何か月も楽しみにしていたので絶望しました。この飛行機を逃したら、新しい飛行機を予約することもできず、帰れないかも、と最悪なシナリオばかりが頭を巡りました。
母と、飛行機を乗り継ぎするところでテストを受けることは可能なのか、もし帰れなかったらどこに泊まるのかなど、いろいろ話し合いましたが、私たちには何もできることがありませんでした。
係員さんに「乗り継ぎのときにもう1回テストを受けられるか」と聞くと、「それはできない」と言われ、「空港の近くにあるホテルに泊まれるか」と聞くと、「19歳以下は1人では泊まれない」と言われ、もはや手も足も出ません。私のことを送ってくれた先生はもうとっくに帰路についていて、学校に帰ることさえできなくなってしまいました。朝6時の空港内で、1人不安と闘うしかありませんでした。
陰性証明書を自力でゲット!
母は、栄 陽子留学研究所の担当のカウンセラーさんと連絡をとってくれて、カウンセラーさんと直接電話で話すことができました。カウンセラーさんは、ホテルに私の現状を伝えて、どうにか泊めてくれるように説得したり、ボストンオフィスのスタッフのかたと私をつなげたりしてくださいました。
結局、予定通りの飛行機には乗ることができず、ホテルにも泊まることができませんでしたが、カウンセラーさんが私の学校に状況を的確に伝えてくださったおかげで、学校からまた先生が私を迎えに来てくれることになりました。また、運よく次の日の便に空きがあったので、日本にも無事に帰れることになりました。
学校から先生が空港に来てくれるまでの2時間の間に、私は1人で陰性証明書をとれる病院に行くことにしました。初めて病院に自分から電話をし、状況を精一杯伝えて、予約をとりました。無事Uberを使って病院に行くことができ、日本政府が認めている陰性証明書をとることができました。
朝3時から始まった長い旅は、大体9時くらいに終了しました。先生とも無事会うことができて、また学校に帰ることになりました。その日は一睡もしていなかったので、学校に着くなり爆睡しました。次の日また3時に起きて、昨日と同じ道を辿り、やっと日本への帰路につきました。
日本に着いて4日間の隔離
受け入れてもらえる書類をすべて持って日本に入国できても、それで長い旅が終わったわけではありませんでした。飛行機を降りてから約4時間、簡易検査を受けたり、書類に記入したりして待たなければなりませんでした。日本に着いたからといってすぐに家に帰れるわけではなかったのです。
そこから4日間の隔離です。どこに連れて行かれるかはわからず、ニュースで羽田に着いた人が大阪まで隔離のために行かなくてはいけなくなったと聞いたときは、さすがに近場で済むように祈りました。
検査結果を待っている間は、自分の陰性を祈ると同時に同じ飛行機の搭乗者にオミクロン株の人がいないことを願っていました。待ち時間に横に座っていた人が、係員の人に「同乗者にオミクロン株の感染者が確認されましたので、隔離期間が延長されます」と言われていたときは、気の毒に思いながらも、私の便の人はだれも感染していないでくれ、と願うしかありませんでした。
結果はだれも感染しておらず、予定通りに空港近くのアパホテルに泊まることになりました。運よく母の仕事場が近かったので、母が納豆を届けてくれたのがいい思い出です。
隔離中、家族と会えないのは辛かったですが、毎日出てくる3食のお弁当が久しぶりの日本食で美味しすぎて、1日20歩くらいしか歩かないのに3食とも完食していました。ホテルの小さなバスタブもうれしかったことを覚えています。
久しぶりの日本食。おいしかったです。
さすがアメリカの航空会社
1度の帰国でスーツケースのタイヤが2つも壊れました
一筋縄ではいかない初めてのコロナ禍の帰国でしたが、4日の隔離後陰性を確認して、やっと家に帰ることができました!!
帰国が遅れたことや隔離があって、実際自宅にいられたのは2週間弱でした笑。
いまとなっては、いい思い出です。
(第15回終わり。第16回へ続く)
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