日本語をめぐる夏の体験:俳句と言語の“翻訳できない美しさ”
こんにちは。Rouri です。
大学2年生の夏休み、僕は日本語と日本文化について深く考える時間を過ごしました。
今回はその中でも特に印象に残った 俳句・言語・文化 の3つの視点から、「日本語って何だろう?」と考えた夏の記録を書いていきます。
1.俳句と“余白の美しさ”:技術と文化が交わる場所
一つ目の体験は、俳句を通して日本語と日本文化の奥深さを考える機会でした。
俳句は5・7・5のわずか十七音で構成され、季語や感情を込めつつも、あえて語らない“余白”を残す表現形式です。
作者が限られた音数の中にどれだけの景色や想いを託すか。逆に読み手がその余白をどう受け取るか。
そこに日本語特有の美しさがあると感じています。

小学校、中学校で使った日本語の教科書を引っ張り出してきて勉強しました。
俳句の多くは旅人によって詠まれたもの。
目の前の景色を見て心を動かされた時にこの気持ちを伝えたいと思って言葉にしたはずです。
以下の文章を読んで、作者が伝えたかった情景をイメージしなさい。
「あなたは秋の夕暮れに法隆寺に訪れた。」
どうしても日本人なら「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」、この句が頭の中に流れるはず。
松尾芭蕉は秋の旅の途中に法隆寺を訪れて、そばに腰をかけて柿をかじった。するとゴーンと鐘がなった。はずだと。
でもこの句を知らない人が訪れたらどうだろう。全く別の感性が立ち上がるかもしれない。
イヤイヤ日本に連れてこられた子供だったらどうだろう。
文化の記憶を共有しているからこそ浮かぶイメージがあり、共有していないからこそ生まれる新しい解釈もある。そこに多様性の面白さがあります。
少し話からずれますが、AIは俳句をとても上手に訳してくれます。
たとえば、次のような句を作ったとします、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
ChatGPT はこれを次のように訳しました。
Stillness, an old pond.
A frog jumps in,
and the water sounds.
音数こそ違いますが、俳句特有の間や背景など、文化や言語が違っても俳句の“感じる”部分は翻訳を通して広がるのだと実感しました。
逆に、2008年のGoogle翻訳風に訳してと変な翻訳を作成することもできます。
日本文化を他者のまなざし越しに見つめることで、日本語が持つ「言葉にしないからこそ伝わる美」や表現の可能性を改めて感じるようになりました。
AI と異文化の視点を俳句に持ち込むことで、日本語の美しさがむしろ強調され、より豊かな表現の未来が拓けるのではないかと思うようになりました。

中学の頃に修学旅行で訪れた際に。夏だったのであの句の感じは感じられませんでした。
2.翻訳の限界:英語という“中継地点”から見えるもの
次に考えさせられたのは、「翻訳」という行為についてです。
近代文学や翻訳理論を研究している先生の講義を聞き、世界中の文学はしばしば
言語 A → 英語 → 言語 Bという経路で訳されていると知りました。
英語が“世界の中継地点”であることは便利です。多くの人が学びやすく、国と国をつなぐ役割を果たしている。
しかしその一方で、翻訳を英語に通すことで、文化特有のニュアンスがそぎ落とされてしまうという問題もある。
この点で僕は強く共感しました。
日本語のように曖昧さや余白に美しさが宿る言語は、ときに英語に訳すと平板になってしまう。
でもそれは「英語が劣っている」ということではなく、言語が持つ“文化の深み”は、別言語を通した瞬間に姿を変えるという当たり前の事実なのだと気づきました。
そして僕がパート2で一番感じたことは、翻訳の限界を知ることで、むしろ日本語そのものの価値がくっきりと浮かび上がるということです。
英語が世界をつなぐ言語であるのと同じように、日本語にもまた独自の世界の見方がある。
その違いを意識できたことが大きな収穫でした。
3.AIとともに開いた、新しい言語体験
この二つの体験は一つのプロジェクトに参加した時に結びつきました。
俳句をアップロードするSNSアプリを開発するチームに参加し、俳句や利用者の分析をしました。
「海外の旅行客ならどう詠むだろう?」
「文化圏が違えばどんな句が生まれる?」
といった発想をプロジェクトに組み込み、利用者の多様性を考えて機能を充実させることを目指しました。
それを実現するために、AIを用いた翻訳や俳句作成の補助ガイドなどの機能をプロトタイプとして作成し、結果的に採用されなくとも提案しました。
AI を創造的に使う側の経験を得られたこと、そして日本語そのものを見つめ直すきっかけになったという点で、とても良い夏だったと思います。
まとめ:言葉の奥にある文化と、AI との新しい関係
この夏以前、僕にとって日本語は母国語以上でも以下でもありませんでした。
英語を理解するための言語だったり、やたら複雑な言語としてのイメージでしたが、
しかし今は、「大好きな世界一の言語」です。
文化や記憶、価値観を運ぶ器なのだと実感しました。
そして現代は、AI がその壁を越え、多様な文化をつなぐ新しい時代に入っています。
言語は、世界を見るためのレンズ。
AI は、そのレンズをさらに増やすための新しい相棒。
人・文化・AI が交わる場所から、新しい世界が生まれる。
この夏の経験は、日本語と向き合う僕自身の視点を確かに変えました。
これからどこで、どんな形でその変化がつながっていくのか、とても楽しみです。

プロンプト:100年後の法隆寺の情景の画像を作成して ただし、法隆寺の文化遺産は今のまま残っているものとする。訪れる人々は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句を知っているもののその句を全くイメージできない姿に変わってしまった。
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