リベラルアーツとは何か? アメリカの大学の芸術教育に見るその本質

リベラルアーツは翻訳できるのか?

みなさんこんにちは。ケンタッキー州のCentre Collegeに留学した鈴嶋克太です。

Centre Collegeはいわゆるリベラルアーツ・カレッジです。

リベラルアーツは日本語では「一般教養」とか「教養教育」と言われていますね。日本に帰国してから、「アメリカではリベラルアーツ系の大学で勉強しました」と言っても「それ、何?(聞いたことはあるけど)」みたいな顔をされることが多いので、そのときは「要するに教養学部です」と説明してきました。

しかし、内心では思います。「違う。リベラルアーツは『リベラルアーツ』だ!」と。リベラルアーツ・カレッジに留学経験のある人は、きっと、同じように思うのではないでしょうか。

日本語の「教養教育」は、「学際的な幅広い知識を身につけるための基礎教育」という意味で、学部3~4年次の「専門教育」に対する位置づけがされているように思います。

また、「リベラルアーツは、現代のグローバル社会に必要な資質だ」とか「グローバル化する社会で、日本のビジネスマンに欠けている素養だ」とか、ビジネスに結びつけて使われることもありますが、それも少し違う気がするのです。

いま振り返って、自分なりに「リベラルアーツ」を定義するなら、それは具体的な知識やスキルを習得するのが目的なのではなく、「自由で主体的かつ柔軟な考えかた・態度を身につけること」。

リベラルアーツ・カレッジで盛んな芸術分野

アメリカの音楽教育

そのリベラルアーツの柱の1つとなるのが、芸術系の科目だと思っています。

Centre Collegeには、音楽から演劇、美術まで、学生アーティストがたくさんいて、11月になると毎週のようにコンサートや発表会が開かれていました。

学期末が近づく11月は、音楽や美術を学んでいる学生の発表の場が設けられるのです。ケンタッキー州には四季があります。「芸術の秋」という概念が日本以外の国にあるのか知りませんが、11月はまさにそのような感覚でした。僕も、オーケストラ、演劇、カントリーミュージックの演奏など、毎週何かしらの催しに行きました。

学生数1,500人程度の小さい大学で、なぜこれほど芸術活動が盛んなのでしょうか。

Centre Collegeで芸術系の分野を専攻している学生は、割合でいうと1%程度のようですが、他の科目を専攻しながら芸術を学んでいる学生がたくさんいることが理由の1つでしょう。

たとえば大学で生物学を学びながら音楽を副専攻とし、大学院で生物学に専念しそのまま生物学者になる、ということも可能だということです。

音楽の先生との出会い

僕はクラシック音楽が好きだったので、留学中は、合唱の授業と、声楽・バイオリンの個人レッスンを受けていました。

音楽が好きになったのは、10歳のころ、ベートーヴェンの第九交響曲の演奏会に親に連れていかれたのがきっかけです。その後、部活やサークルで合唱をしたり、習いごとでバイオリンをやったりしましたが、あくまで趣味の範囲で、実際のところ大して上達しませんでした。

僕がCentre Collegeで音楽の授業をとったのも、「好きな音楽で単位がもらえる」「卒業に必要な単位数が稼げる」という動機があったのが、正直なところです。

ところが、予想に反してかなり熱中することになりました。留学中は専攻の国際関係の勉強にどっぷり漬かるつもりでしたが、気づけば、多いときは週に10時間は音楽に費やしており、もはや「副専攻」レベルでした。

なぜ、それほど熱中したのかというと、まず、「課題に直面した際に、原因を分析し、乗り越えていくことの喜びを知った」という点があります。

声楽とバイオリンの先生は、どなたも経験が豊富で、教えることに長けていました。一対一の30分間のレッスン(週1回、1学期で10回ほど)では、僕の技術的な課題を見抜き、細分化して、1つひとつ乗り越えらえるように、具体的でわかりやすいアドバイスをいただきました。

2年目にお世話になった声楽の先生は、若いころニューヨークを拠点に世界的に活躍されていたかたのようで、東京にも来て、あの小澤征爾さんが指揮をした公演にも出演したことがあると言うのです。その先生のレッスンは、まさに「目からウロコ」。歌うことの楽しさ、奥深さを教えていただき、いまに至るまでモチベーションの源になっています。

音楽は、スポーツと一緒で、ある日、突然上手になるということはありません。どんなに調子が悪くて落ち込みそうになっても、自分の課題を冷静に見つめ、乗り越えようとがんばる。すると、10日後ぐらいに、ようやく乗り越えられたりするのです。

音楽が世界を広げた

音楽に熱中したもう1つの理由として、「音楽という普遍的なものを通して、世界が広がったこと」もあります。

音楽の授業では、音楽に関する用語(音符、小節、速度、表現、和音など)も当然英語。先生の説明も英語、先生や友人との音楽談義も英語。合唱の場合は、歌詞も英語です。授業中は、「〇〇なふうに表現して」とか「〇〇みたいに」などの指示が出されるので、抽象的な英語の理解力も鍛えられます。

合唱の授業では、現代のポップな宗教曲や黒人霊歌風の曲が題材になったり、クリスマス・シーズンの礼拝に合わせて、大学の近くにあるキリスト教会で演奏する機会もありました。この礼拝には地域の人も参加しており、この国の人の宗教観を肌で経験することができました。

僕は外国人でしたが、「音楽が介在することで、その場を一緒につくっている仲間だ」という感覚がありました。

芸術に通底するリベラルアーツの理念

リベラルアーツ大学で芸術を学んだ学生の中で、職業として音楽家や画家になる人はごく一部でしょう。

でも、「課題を分析し、1つひとつクリアすれば、乗り越えられる」という自信。そして、「音楽を通して、違う世界の人(先生や友だち、地域の人)とつながることができた」という経験。

僕が音楽の授業で得たこの2つは、まさにリベラルアーツの考えに通ずるものだと思います。

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