「環境」について考えた留学生活その2:「環境カフェ」を自ら開催
みなさんこんにちは。ケンタッキー州のCentre Collegeに留学した鈴嶋克太です。
前回の記事(「環境」について考えた留学生活その1:熊本から東京、そしてアメリカへ)では、僕が留学するに至った経緯から、Centre Collegeで最初の学期に履修した「環境学入門」について紹介しました。
そうしてCentre Collegeで環境について勉強するいっぽうで、モヤモヤした気持ちを抱いたり、自己矛盾を感じるようにもなっていきました。今回は、そのあたりのことから書き始めていきましょう。
自分の考えと行動との不一致
日本の大学からCentre Collegeへの編入を決めた理由としては、リベラルアーツ・カレッジとして評価が高いのはもちろんですが、キャンパスの立地や周辺の雰囲気から、「とても田舎で、自然環境がよさそう。学業に集中できそうだ」と感じたのもあります。
実際に行ってみると、イメージ通りの環境だったのですが、授業で真面目に「環境問題」について勉強しながらも、自分の中で“考えと行動が一致していない”自己矛盾のようなものを感じていました。
僕が環境学入門の授業で読んだ『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンには、『センス・オブ・ワンダー』という本もあります。“センス・オブ・ワンダー”とは、「自然等の事象に対して不思議な感動や驚異を覚えること」という意味です。この感覚をもつことで「この自然や生き物を大切にしよう」という気持ちも起こり、僕たち人間が自然保護を進める原動力になると僕は思っています。
しかし、僕が感じていた「自己矛盾」はどういうものかというと、田舎で自然に近い環境で「環境」について真面目に学んでいるいっぽう、実際の自分自身の生活はというと、課題に追われて図書館の自習スペースや寮に閉じこもる毎日。身の回りの自然環境に触れたり、授業以外の時間で友だちと環境問題について語ったりすることはほとんどない状態でした。
周りの学生を見ても、パーティに行ったり、部屋で友だちとゲームしたり、映画を見たり、テイクアウトしたピザを食べたり、ジムで汗を流したり……。このように土日をすべてインドアで過ごしている人もいました。田舎で自然に近い環境にありながら、結局は、都会で暮らしているのと同じです。
自ら「環境カフェ」を企画
といっても、僕も車をもたない留学生でしたので、行動範囲としては、ほとんどキャンパス内の寮・カフェ・教室を行き来するだけ。
「これでいいのか」とモヤモヤする気持ちが高まり、留学1年目の後半(2019年の春)、日本でかかわっていた「環境カフェ」の活動をCentre Collegeでも始めました。
手始めに、仲のよかったRA(Resident Assistant)に声をかけて、寮のイベントとして実施したところ、20人ほどが参加し、「こういうイベント初めて!」「こういう場はもっと必要よね」と言ってもらえました。
ほかにも、庭で無農薬野菜をつくりエコハウス(省エネに工夫を凝らし、電気や暖房の使用を極力抑えた住宅)に住んでいる先生(生物学)のお宅にお邪魔して開催したり、別の先生(化学)の案内で、近くの自然保護区(セントラル・ケンタッキー野生動物保護区)にでかけて屋外で開催したりしました。
生物の先生のお宅で実施した「環境カフェ」
人生観を変えた科学史の授業
この化学の先生は、大学のキャンパスから車で20分ほどのさらに田舎の地区に住んでいて、畑と牧草地をもっていました。
「環境カフェ」ではありませんが、2年目にとったNatural Scienceの授業で科学史(自然科学の発展の歴史)について学んでいたとき、トピックの1つが「人間の宇宙観」(人が現在に至るまで、どのように宇宙を理解してきたか)でした。
その中で「実際に惑星や星を望遠鏡で見てみよう」という野外実習があり、ある平日の夜、その先生の牧草地にお邪魔したのです。
夜空の星を眺めるだけなら「ただのおでかけ」ですが、授業の一環ですので、事後の課題としてエッセー風の感想文が課されました。僕は以下のようなことを書きました。
「僕がその晩、簡易望遠鏡を通して見たのは小さい点々だった。メソポタミア文明やギリシャ文明時代の哲学者や科学者は、肉眼で見えた無数の点々の動きを丹念に追って、考えに考え抜き、宇宙の姿を説明する理論を発展させた。そのうちのいくつかはいまでも間違っていない。現代のような観測機器やコンピュータがなかった時代に、なんという天才的な努力だろうか!」
天体観測の会場となった先生の牧草地にある小屋
牧草地に集まってきた学生たち
日が沈むと、夜空は星で埋め尽くされた
地球とヒトと、他の生物と
この授業ではその後の物理学の展開をたどり、最終回には「宇宙は無の状態から、ビックバンによって140億年前に生まれた」という現在の定説に至りました。
宇宙はあらゆる物質が詰まった、とてつもなく熱い小さな火の玉の状態から始まり、膨張を続けた結果、いまの状態に至っている。
つまり、宇宙(universe)はその名の通り「森羅万象」で、その誕生から現在に至るまで、すべての事象がその中で生起し、物質やエネルギーはグルグル循環しているということ。空の彼方の遠くの星々をかたちづくっているのと同じ物質が、僕たち人間の体をもかたちづくっているということなんです!
「無」から始まり、当初は非生物的だった空間に、地球のような惑星が生まれ、人間も含めたさまざまな生物が生きている。地球もヒトも他の生き物も、もとをたどれば、1つの存在。なんとすばらしい!
エモーショナルな書きかたになりましたが、当時、本気でこんなコスモポリタンのような感情が沸き上がってきて、ある種の感激に襲われたのを覚えています。
鈴嶋克太さんの記事一覧
- 第1回 「自分は何をして生きていくのか?」 悩んだ末の「留学」という決断
- 第2回 リベラルアーツ×アメリカ英語×あこがれ。留学先としてアメリカを選んだ理由
- 第3回 集中力も高まる? 飲食OKが当たり前のアメリカの大学の授業
- 第4回 歴史的に考えるとはどういうことか? アメリカの大学の歴史の授業
- 第5回 リベラルアーツとは何か? アメリカの大学の芸術教育に見るその本質
- 第6回 「環境」について考えた留学生活その1:熊本から東京、そしてアメリカへ
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