高校不登校から大学留学の決心をするまで
こんにちは。日本の高校での不登校から、アメリカのオハイオ州にあるMarietta College に進学し、2年生になった(2023年秋時点)かなえです。
小さいときから日本のアニメが大好きで、いまはMarietta Collegeでアニメクラブを立ち上げ部長をやっています。地元は新潟の、夏になると田んぼにカエルの声が響くきれいな場所です。
今回は、私が高校での不登校からどうして留学を思い立ったのかをお話しします。
学生が毎日必ず通るキャンパス内の道と図書館
なぜ私が不登校になったのか
私は高校に1週間ほどしか登校しませんでした。
不登校が始まったのは、まだ制服の裾が少し長く感じる高校1年生の春からです。高校は地元から少し離れていて、公共交通機関で片道1時間、知っている友だちも1人だけ、勉強に自信もありませんでした。
それでも入学した当初は「友だちづくりも勉強もがんばって上手くやるぞ」とやる気は十分で、前に座る女の子の名前も覚えないうちから立候補し、男女2人のうち、女子学級委員長になりました。
お昼ご飯を一緒に食べる友だちができてから間もなく、登校すると突然涙が止まらなくなりました。理由は、新しい環境や勉強に対する過度のストレス、緊張、不安、ショックでした。
いま、そのときから3年経ってやっと、自分と向き合い、理由を探ることができますが、当時は自分がなぜ泣いているのかわからず、混乱し、同時に何もできない自分に失望しました。
保健室でカーテンに隠されながら声を殺して泣くのも惨めでしたが、あまりに泣き止まないため、忙しく働いている母の元へ電話が行き、母が2時間車を走らせて迎えに来てもらったときは、申し訳なくて仕方がありませんでした。
なぜ教室に行けないのかわからないので、解決の方法もわかりません。両親に学校でうまくやっている姿を見せたかったのに、胸を張れること1つない自分が悔しかったです。
それから登校する日が一気に減り、家のベッドで動画を見る日を1年間繰り返しました。
この期間は、アメリカに来てからの日々よりも辛かったです。
学校にも行かず、ずっと寝て、勉強することも働くこともできず、でもお腹は減るのでお金はかかる。親に申し訳ないという思いと、自分は本当に何もできないなというひどい自己嫌悪に陥りました。また、将来の進路、職についての不安もつきまといました。
不登校の頃の私にとって、高校に行けないということは、ワクワクする将来の道がいきなりすべてなくなったようでした。想像していた興奮するような学びも、仕事の道への選択も、いきなりむずかしくなります。
大学受験で他の子と競うことも考えましたが、到底いまの私にはできないと思いました。
いくら将来を考えるのが怖くても時間は過ぎていきます。心が回復するのを待ち、少しずつ両親と道を探し始めました。
この期間は両親にとっても辛い期間だったと思います。
渡米直前、母に「あのとき無理やり学校に行かせてごめんね。がんばったね」と言われたときは、母もたくさん考えて、迷っていたのだと知って泣きました。
あのとき両親が辛抱強く見守って、やりたいことをやらせてくれたから私のいまがあります。
Harrison Hall という上級生が住める寮
留学という道をどうやって見つけたか
なぜ私が留学という道を見つけられたのかというと、それはちょっとした偶然です。
少し外出できるようになって、中学の頃からお世話になっている学習塾へ先生とお喋りしに行ったとき、栄 陽子留学研究所のパンフレットをいただきました。
パンフレットが置いてあったのは、その先生自身が、かつて栄 陽子留学研究所を使って留学し、アメリカの大学を卒業したからです。
留学など少しも考えたことはありませんでしたが、パンフレットを眺め、ネットで検索してみると、不登校の私でも留学できるのではないかと思い始めました。
それから私の将来に一筋の光が射したように感じ、留学という道を選んだらワクワクする将来が待っているという期待を抱くようになりました。
留学とは、知らない土地で、知らない言語で生活しなければならず、恐ろしいことがたくさんありそうに思えます。でも、この道が閉ざされたら、またゴールもないまま道を探すことになると思い、私にとってはそちらのほうが怖かったのです。
まだまだ将来を考えることに怯えていた私ですが、母が背中を押してくれ、栄 陽子留学研究所のカウンセラーさんと面談することになりました。
学校に行っていないことを打ち明けると、カウンセラーさんは驚いたり可哀想だというそぶりを見せることもなく、ただ学校に行かない道を歩いた人として、まるで普通のこととして対応してくださったことが嬉しかったのを覚えています。
それからカウンセラーさんに、高校2年生の段階で高校卒業認定(高校を卒業していない人が高校を卒業した人と同じ程度の学力があると認められる試験)をとって、少し早く大学へ行くプランを教えてもらい、私でも大学に留学できるんだと希望をもらいました。
それから本格的に大学留学へ向かっての歩みを始めます。
このとき私は、まだ留学という大きな恐怖を直視できませんでしたが、両親はいつも私を見守って、支えてくれました。そばにいてくれた両親の支援と努力のおかげで、少しずつ将来の恐怖に立ち向かえたのではないかと思います。
(第1回終わり。第2回へ続く)
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