私はこうして留学できた! ケース別に見る返済不要の奨学金獲得までの道

みなさんこんにちは! 今回の「留学ブログ」では、アメリカの大学から返済不要の奨学金を得て留学を実現させた3つのケースをご紹介します。

 

ここでいう「奨学金」とは、アメリカの大学から支給される返済不要の奨学金のこと。学費高騰が続くアメリカの大学へ留学をめざす人にとって、奨学金の獲得はとても大きな関心事です。奨学金の獲得を視野に入れないと、なかなか留学の資金計画を立てられないという人も少なくありません。

英語が苦手な留学生にアメリカの大学が奨学金を出してくれるはずがないと思い込んでしまう人もいますが、そんなことはありません。留学生でも返済不要の奨学金を得られるチャンスはあります。それも、決して低い確率ではありません。

以下の3つのケースが、奨学金を獲得してアメリカ留学を成し遂げる1歩を踏み出すきっかけになれば嬉しいです!

 

もくじ

1.ピアノで奨学金を獲得し、留学を実現させたケース
2.ボランティアが評価されて、奨学金を得て留学したケース
3.学校の成績が悪くても、アメリカの大学から奨学金を獲得できたケース

 

1.ピアノで奨学金を獲得し、留学を実現させたケース

一度はあきらめたアメリカ留学

東京都出身のマユミさん(仮名)が初めて留学相談に見えたのは、大学1年生の半ばごろでした。留学に対する強い決意を感じられました。なぜ日本の大学に入ってからアメリカの大学に留学しようと思ったのか、まずその理由を話してもらいました。

マユミさんは私立高校に通っていましたが、本当はアメリカに留学したかったと言います。でも、ご両親の同意を得られませんでした。とくにお母さんからは、「そんなに遠くへ行かせたくない」と猛反対されてしまいました。そのため、「大学の付属高校でもあるし……」と自分を納得させ、そのままエスカレーター式に高校から大学に進学したのです。

世界の出来事や国際関係に関心があるため、政治学部に進みました。最初は友達もできて楽しく通っていたのですが、だんだん何か満ち足りない気持ちを抱くようになったと言います。

「私は、小さいころからずっとピアノを習ってきました。国際関係にも興味がありますが、それと同時にピアノをもっと勉強したいのです。私にとってはどちらも専攻したいのですが、日本ではそれがかないません。ピアノを続けるには、これまでのように学校とは別にレッスンに通わなければなりません。でも、アメリカの大学でなら2つの異なる分野を専攻できることを知り、一度はあきらめたアメリカ留学にもう一度挑戦したいと思うようになりました」

留学カウンセリングには、お母さんも同席しました。お母さんは、高校のときにはどうしてもアメリカなんて遠くには行かせたくなかったが、そこまでの固い決意をした娘の気持ちを知るにつれて、少しずつ理解できるようになったと言います。

 

選曲をアドバイスしてDVDでアピール

そこで、目標を大学2年の9月にアメリカの大学に編入することに定め、準備を進めていくことにしました。日本でも大学の入学金などがかかっているので、できるだけ両親に負担をかけずにアメリカの大学に留学できるよう、奨学金を得られる大学に留学したいとマユミさんは強く希望しました。

留学生が得られる奨学金は、アメリカの各大学が支給する返済不要型です。マユミさんの場合も、返済不要の奨学金の獲得をめざすことになります。

アメリカの大学では、1、2年生はGeneral Educationと呼ばれる一般教養科目を学びます。3年生になって専攻を決めますが、ダブルメジャーといって異なる2つの分野を専攻することができます。

そこで、3年生になったら国際関係とピアノ(音楽)を専攻することを念頭に、大学選びを始めました。日本の大学に通っているので、アメリカの大学へは単位を移行して編入することになります。

マユミさんは留学を決意してからも、日本の大学に通いながら、できるだけ多くの単位を取得することに努めました。日本で取得した単位は、アメリカの大学の卒業単位として移行できます。カウンセラーは、より多くの単位がアメリカの大学に認められるように、日本の大学での科目選択もアドバイスします。

大都会ではなく、かといって自然ばかりのところでもなく、国際関係とピアノを両立できそうな、最終的にしぼりこんだいくつかの大学に願書を提出しました。

ピアノに関して、マユミさんはコンクールで入賞するほどの高いレベル。出願時には、録画したDVDを提出することにしました。音楽で奨学金を獲得するためには、DVDの作成にも工夫が必要です。留学カウンセラーと一緒に、音楽の選曲を考えました。

大学側には、マユミさんがいかにピアノの技術が高く、いかに優しさとパワフルさを兼ね備えた人間で、「貴大学に貢献できる人材であること」をアピールしました。

 

ピアノの才能に対しても奨学金を追加

その結果、合格と同時に奨学金も獲得できました。留学生の奨学金として1年間に15,000ドル、さらにピアノの才能に対して1年間に3,000ドル追加して支給されることになったのです。

マユミさんもご両親もたいへん喜び、目標どおり、大学2年の秋からアメリカの大学に編入留学しました。日本の大学の単位もおおむね認められました。

留学を希望しつつも一度日本の大学に入り、遠回りしたようにも感じられるかもしれません。でも、自分自身の「どうしても譲れないものがある」ことに気づき、あきらめずに親を説得して立ち向かった経験は、今後の大きな支えになることでしょう。

 

2.ボランティアが評価されて、奨学金を得て留学したケース

福島で芽生えた留学へのまなざし

福島県出身のショウタさん(仮名)は、公立高校に通っているときにアメリカ留学を考えるようになり、留学相談を受けにいらっしゃいました。

ショウタさんは中学校のときに東日本大震災を経験しました。大震災とそれに続く原発の爆発による放射能被害で、福島は一変しました。福島の内陸に住んでいたショウタさんは、幸いにも家や家族は無事でした。でも、親類や知り合いの中には亡くなった人や、家を追われて避難地域に住んでいる人もいます。多感な時期での震災と原発事故は、ショウタさんに大きな影響を与えました。

とくに変わったのは、それまでは縁のなかったボランティアの体験です。震災直後は、片付けの手伝いに出かけ、さまざまな人と出会うことになりました。なかでも、外国人と話す機会が増えました。福島を取材に来た外国の取材班に出会うこともあり、たまたまスリランカの人たちがカレーの炊き出しに来てくれて話をする機会もありました。

そうしたときに、学校で英語の成績がよいショウタさんは臆せずに積極的に話しかけていきました。もちろん最初は不安だったのですが、二人、三人と話す相手が増えていくにしたがって、だんだん自信につながっていったと言います。

 

留学を通して福島を伝えたい

英語でコミュニケーションしながらボランティア活動をする――。この経験が、英語が通じる外国、とくにアメリカに留学したいと思うようきっかけになりました。

ショウタさんは、高校に入ると、なおも積極的にボランティアを続けるようになりました。日本だけでなく世界中の人たちに「福島の姿」を見てもらおうと、自らがリーダーとなり数人の仲間とともに、ボランティアグループを立ち上げます。自分が通う高校だけではなく、他の学校や県内のNPOとも連携して、ボランティアツアーを企画して実行していきました。とくに、他県からの高校生や外国の人々に見てもらいたいと思い、積極的に声をかけていきました。

 

リーダーシップも評価されて奨学金獲得

ショウタさんはこのボランティア活動を続けながら、留学の準備をしました。

経済的にもたいへんな状況なので、両親には負担をかけたくないということで、返済不要の奨学金を得られる可能性の高い大学を探して出願することにしました。

そして、寮のあるこぢんまりしたリベラルアーツの大学に願書提出と同時に奨学金申請をしました。その後、うれしいことに合格と同時に年間20,000ドル支給される「留学生奨学金」を獲得することができました。

ショウタさんの場合、もともと英語の基礎ができていたうえ、実践で身につけたコミュニケーション能力も高評価につながりました。

そして、ボランティア活動はもちろん、その活動を率先して行うリーダーシップが高く評価されました。原発事故で一変した「福島」という悲劇的な地域で、人々とのつながりの輪を力強く広げていくショウタさんの秀でた人柄と行動力も、エッセー(作文)を通じてしっかりアピールするようにしました。アメリカの大学では、他者のために働くボランティア精神と大勢の人をまとめてあることを達成に導くリーダーシップは、たいへん評価されるからです。

アメリカの大学に留学してからも、遠く離れた場所だからこそ、本当の「福島の姿」が見えてきた部分があると、ショウタさんは見続け、考え続けています。そして、知り合ったたくさんの国の友人たちに福島のことを伝え続けています。

 

3.学校の成績が悪くても、アメリカの大学から奨学金を獲得できたケース

受験した日本の大学がすべて不合格に

リョウさん(仮名)は、神奈川県にある私立の進学高校に通っていました。日本の大学を受験したのですが、すべて不合格となってしまいました。息子の先行きを心配したお父さんに引きずられるようにして留学カウンセリングに訪れました。高校の卒業前の2月のことでした。

リョウさんにとってはアメリカ留学などそれほど真剣に考えたこともなかったので、最初は気持ちの整理がつかないようでした。高校での成績も平均ぎりぎりで、下回っている科目もあり、留学するにしてもかなり厳しい状況でした。

なぜそんなに成績が悪かったのかといえば、進学校のため、周りはハイレベルの大学をめざす人が多く、自分も引きずられていわゆる「受験勉強」に打ち込んでいたと言います。そのため、学校の授業がおろそかになり、成績が悪くなってしまったようです。

力を注ぎ込んだ受験勉強ですが、「合格」という結果を出せなかった一つの理由は、専攻を決められなかったことです。日本では、何学部の何学科を受験するのか、あらかじめ決めておかなければなりません。リョウさんは、自分が何を勉強したいのか、将来何になりたいのか、考えても答えを見いだせませんでした。目標も見えずにやみくもに受験勉強をしても、身になる勉強にはつながらなかったのでしょう。

 

アメリカの大学の担当者と直接面接

当研究所のカウンセラーは、アメリカの大学は一斉入試がないこと、専攻は入学時に決めなくてもいいことなどを伝え、カウンセリングを重ねるうちに、リョウさんはだんだんアメリカ留学へ気持ちが傾いていきました。両親もアメリカの大学に留学することに賛同し、ようやくリョウさんは留学を決心しました。

リョウさんが最後まで思い悩んでいたのは、お兄さんもお姉さんも日本で大学に通っているため、留学することで両親にこれ以上の負担をかけたくないということでした。返済不要の奨学金を獲得することができるかもしれないと知ったことで、決心したのです。

リョウさんに合う志望校選びを始めました。全人教育を基礎とするリベラルアーツの大学から、数校にしぼっていきました。すると、第一志望の大学のアドミッションズ・オフィスの留学生担当者が来日する機会に、直接面接してもらえることになりました。ラッキーです。リョウさんには幸運を引き寄せる力があったといえます。

面接の場で、飾らずに自分のことを話し、その大学にぜひ入りたいということを、それほど得意ではない英語で訴えました。カウンセラーも、リョウさんが通っていた高校はいかにレベルの高い進学校であったかを説明し、その中で成績が悪かったのは日本の学校での相対評価というシステムも原因の一つであること、成績の悪かった自分自身に向き合ってアメリカへの留学を強く願っていること、などを伝えました。

 

留学生活の中から見つけた「将来」

その結果、リョウさんは第一志望の大学に合格することができました。と同時に、年間20,000ドルの奨学金が大学から支給されることも決定しました。

日本では何を勉強したいのか、将来何になりたいのかがわからなかったリョウさんですが、アメリカに留学して学生生活を送るうちに友人も増え、少しずつ自分の進む方向が見えてきたようです。

アジアからの留学生の多くは、だいたいビジネスを学びにアメリカに来ているということがわかってきました。しかも彼らの多くが、自分で起業する夢を描いています。リョウさんも、自分自身で何かを始めたいという思いを抱いたようで、ビジネスを専攻することに気持ちが向かっているようです。

日本ですべての大学に落ちて自信をなくしていたころのリョウさんを思い出すと、留学カウンセラーとしても、喜びはひとしおです。

 

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アメリカ留学において、「費用」のことははつねに頭を悩ませる問題です。しかし留学生であっても、アメリカの大学から返済不要の奨学金を得られるチャンスは十分にあります。ぜひ前向きに、留学実現に立ち向かってください!!

 

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