アメリカ留学と仕事:栄陽子留学研究所

ぼくは脳ナシだった。

三浦哲

 

こう言うと「大げさだなあ」と思うかもしれない。
だけど本当にそうだったのだから仕方ない。

ぼくは物心ついてからずっと野球少年だった。
小学校の時にはチームが全国大会に出場し、自分も7番でサードでレギュラー出場した。
将来は甲子園に出てプロ野球選手になるのが夢だった。そんなぼくは当たり前のように、中学高校と野球を続けた。
特に高校では授業中はもっぱら寝る時間。
本当に野球一色の日々だった。

でも、高校3年生の甲子園予選では2回戦で敗退。
その時までには、自分がプロの選手になる才能がないことは知っていた。

野球が終わって、何をしたらいいのかまったくわからなくなった。
それまでは監督や先輩に「やれ」といわれたことだけを「ハイ」と言ってしていればいいだけだった。
自分で自分が何をすべきかを考える、ということはほとんどしたことがなかった。
自分は本当は何がしたいのか、全然わからなくなった。
途方にくれた。

まるで急に砂漠の中にぽつんと取り残されたような感じだった。
何をしたらいいのか見当もつかなかった。

受験勉強はほとんどしなかった。
だけど運がいいのかどうなのか、ためしに2つだけ受けてみた大学は両方とも受かってしまった。
仕方がないので大学はとりあえず通うことにした。

でもやっぱり大学はつまらなかった。
とりあえず授業に出ていれば単位は取れる。
それなりに友達もできる。
だけど、「だから何・・・?」
そんな感じだった。

自分がこのまま4年間この中で過ごしたら、本当に脳ナシのまま人生を過ごしていってしまう。そんな一生が見えた。

これは、ヤバイ。
そう思った。

そんな時、大学の書店で栄陽子先生の本に出会った。
なんとなく気になって時間もあったので買ってみた。
アパートに帰ってすぐ読んだ。
なかなか面白かった。

急にこの人にあってみたくなった。

その本に書いてあった電話番号に電話してみた。
そしてカウンセリングを予約した。

1週間くらいして赤坂のオフィスにカウンセリングを受けに行った。

10分くらい栄先生と話しをした。ハッキリと目的意識をもっていったわけじゃないのでとりとめもないことを聞いたと思う。

でもその帰りには「アメリカへ行こう」と決心した。

それからは早かった。
数ヶ月のうちに話しは進み、半年後にはアメリカにいた。

アメリカでは、「スピーチコミュニケーション」と「ブロードキャスティング」を学んだ。

今思えば最初はなかなかキツかった。

留学して最初の授業が"New Testament"つまり「新約聖書」の授業だった。

考えてみると、こんな授業、留学の最初に選択するべき授業ではない。キリスト教のキの字も知らないのだから。
きっと日本語で聞いてもちんぷんかんぷんに違いない。

はじめの授業の間は一番前の席で先生の顔を一生懸命眺めていたけど、頭の中は真っ白だった。そして目の前は真っ暗だった。

「こんな授業ついていけるはずがない!」

そう思った。

本当に泣きそうだった。
となりの女の人に声をかけ、ノートを貸してもらい、
休み時間に先生に会いに行き、事情を説明し、補習をしてもらい、
あとは図書館に入り浸って呪文のような聖書をひたすら眺めつづけ、
3ヶ月たって1学期が終わってみると何とか「C」がとれていた。

これが自信になったと思う。

2年半アメリカにいたが、
最後の学期はほとんどAだった。

このアメリカでの2年半でぼくは
「自分の頭で考え、自分のハートに聞き、自分で自分の行動を決める」事を学んだ。

日本へ帰ってきて、就職を決めるまでの時間が3ヶ月あった。

ぼくは、この間に本当に色んなことを考えた。
ありとあらゆる職業の可能性を考えた。
そして実際に働いている自分自身を何回もイメージした。

自分がどんな仕事をしているのか?
どんな場所で働いているのか?
どんな人と働いているのか?
その仕事を通して何を学んでいるのか?
そしてどんな風に感じているのか?

考えられる全ての角度から、思いつく全ての職業を検証してみた。
商社マン。
カッコ良さそうだけど、自分が納得できない商品も売らなくてはいけないことも大いに違いない。不合格。
証券マン。
これもカッコ良さそうだけど、株とか人に売ってもあんまり喜びを感じなそうだ。不合格。
銀行マン。
自分のお金ならいいけど、人のお金を数えるのはつまらなそうだ。不合格。

このように考えていくと、つきたい職業はほとんどなくなってしまった。

でも、就職してしまえばどんなに短くても、1日8時間はそれに時間を使うわけである。
「仕事だからしかたない」とイヤイヤするような職業にはつきたくなかった。
だから妥協せずに散歩したり、本屋へ行ったり、喫茶店行ったり、部屋でごろごろしたり、いろんな事しながら、3ヶ月間真剣に考えた。

結局残ったのが、学習塾の講師だった。
選んだ理由としては、アメリカで学んできた、スピーチコミュニケーションを実践で生かすことができるかもしれない、というのがひとつ。
選んだ会社は実力主義で成果に応じて給料が他のサラリーマンより高かったのがもうひとつ。
小学生や中学生と付き合うのは嫌いじゃなかったのもひとつ。
そして最後に、最終的に自分のしたいことが見つかるまで、数年間アルバイトの延長感覚でできる、と思ったのがひとつ。

こういう理由で、就職は決まった。

仕事はまあまあ楽しかった。
でも、「最終的にしたいこと」は結構早く見つかってしまった。
「自分の頭で考え、判断すること」を突き詰めていくと、
結局自分で独立して経営していくしかないことが分かったのだ。
それがわかったから、就職した塾は10ヶ月で辞めた。

今は自分で小さな学習塾を営んでいる。

自分で自分のすべてのことを考え、すべてを決断し、すべての責任を持つこの経営者という仕事は、やってみるとなかなか楽しい。

でも、これは留学する前の「脳ナシ」のぼくには到底考えられないことだった。

それを楽しみながらできるようになったのも、留学のおかげ、そしてそこへ導き、信念を持ってサポートしてくれた栄陽子先生と研究所の方々のおかげだと思う。

それが「自分の頭で考え、自分のハートに聞き、自分で自分の行動を決める」ということだ。
そして他人のひいたレールの上でなく、自分でひいたレールの上を歩くということだ。

これからの社会ではそれが大切になってくる。
それが得られるのが留学という経験であると思う。

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