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最近、トップ三〇校や法律系大学院など、日本の教育レベルを上げて、世界と競合しなければならないという意見が続出しています。日本は長い間平等という名の下に、全体の教育レベルの向上は図ってきましたが、エリートをつくるということをことさらに避けてきました。ところが、表面的な平等をいくら取り繕っても、人間の競争精神を抑えることはできないもので、水面下では学校より塾に血道を上げて、一流といわれる大学に入るための受験戦争が行われてきたのです。その結果、一流大学に入学するということのみがクローズアップされて、なぜ? と問う勉強が欠落してしまいました。
その昔、日本が大学を創設した時は、それぞれの建学の精神があり、日本の国を一流にする、日本国民のために自分の知と身体を捧げるといったようなことが、大学に行くための大きな目的であったのです。すなわち大学に入学する人は、常に天下国家のことを考え、自分の私利私欲を殺して、国家や社会のために尽くすということがとても大切だと考えられていたわけです。
どこの国でもエリートは必要だと考えられています。エリートは、単に勉学がよくできるとか人の上に立つとかいうよりは、国家のために尽くすということが一番大切なことなのです。日本は、表立ってエリートという道や存在を否定してきたがために、本来のエリートのあり方と違えて考えられるようになってしまいました。
学業が優秀であることだけがエリートであるわけではありません。
アメリカでは教育のボトムアップを目指して、国は恐ろしいまでに努力しています。何せ、どんなにレベルを上げても、次の日には自国の言葉さえ読めないような人が移民してくるような国なのです。はっきり言って、やれるわけないじゃないと思ってしまうのですが、それでもなお一層レベルを上げようと努力するのです。
片や、国を引っ張っていく者、各分野でリーダーになる者など、エリートを養成することにもますます力を入れています。国内だけではなく外国からも、よさそうな者がいれば引っ張ってこようという考えさえあります。
もともとキリスト教の精神で、持てる者は持たざる者のために尽くすというのがあるせいか、お金持ちやエリートの家に生まれた者は、小さい時から恵まれた環境に生まれたので、必ず社会にお返しができる人間になるよう教育されます。
ハーバードをはじめ、イエールなどエリート校にはそういう人たちがいっぱいです。彼らは勉学面だけでなく人間性の面でも、面接を含めてあらゆる角度から審査されます。
最近、このアメリカの一流大学に入学することについて、おもしろい記事がアメリカの紙面にありました。アメリカは、義務教育を終えることが目的の公立高校が圧倒的で、私立高校は全体の一〇%くらいしかありません。その私立に関して、次のような記事がありました。
「チュータリング(家庭教師について勉強すること)に力を入れ、ほとんど全生徒が部長を務められるほど多くのクラブを用意し(クラブの部長や生徒会の会長になっている者が望ましいと考えられているので)、大学へ提出する願書の内容を充実させている。大学入学の合否については、一生懸命勉強して成績を上げることも大切だが、高校以外の民間のチュータリングを受けることや、両親が自分の目指す大学の卒業生で寄付をしているかどうかという事柄も大きくかかわってくる。ニューヨーク市に位置するある私立高校へ通う生徒は、年間約二万ドルの学費以外にSATチュータリングに数千ドル費やすことが当たり前になっているという。ある女生徒は、ジュニア(日本の高二)の時に彼女の通う私立高校で、有名なInspiracaというチュータリング会社のチュータリングを合計六〇時間以上受けていた。彼女のチュータリング料は、年間の学費よりも高かったらしい」(Washington Post.comより)。
アメリカもトップを目指す者は、家族を挙げてなかなか大変です。日本と一つ違うことは、小さい時から、エリートになったら社会のために尽くさなければならない、ということを教えられていることです。
さて、最後に一九九九〜二〇〇〇年のアメリカの大学の学位のデータが出ましたので紹介しておきます。
「一九九九〜二〇〇〇年の学士号及び修士号の取得率は、女性が男性を上回る結果となった。女性が学士号の五七%、そして、修士号の五八%を取得。しかし博士号取得率は、男性が五六%と女性の取得率を上回っている。学士の専攻で最も多かったのは、ビジネス・アドミニストレーションで、全体の二〇%を占めていた。また、同年に学士号および修士号を取得した人数は、二三八万四一六三人」(The Chronicle of Higher Education紙より)。
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