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やっぱりテロ事件の話になります。私の研究所から、留学していたり卒業後も留まったりを考えると、八百〜千人くらいの人がアメリカにいると思われるのですが、実は今回の事件で一番近い所にいたのが私の長男だったのです。
そもそもあの現場から一番近い所にあるのがNew York Universityです。New York Universityには寮がいくつもあって、そのうちの三つの寮が現場から五ブロックほどの所にありました。うちの長男はそのうちの一つに住んでいたのです。
朝八時から授業のあった彼は、寮から離れている教室にいたため、どうってことはなかったのですが、寮が立ち入り禁止区域になってしまったので、ノートと数冊の教科書を持っただけで、放り出されてしまいました。
授業はその週いっぱい中止になり、大学側はただちに体育館に毛布類を出し、二十四時間食事を出す手配をして、寮を出された学生が生活できるようにしました。
また、次の月曜日からは授業が再開され、三つの寮の学生は、SheratonとPark Centralという高級ホテルに部屋を用意してもらい、一週間に十食、他の寮で食事がとれ、教科書は無料で再交付され、また、下着などを買うために一人二百ドルが大学から支給されました。
こういった情況でとても役に立ったのはインターネットです。インターネットで学生たちは次々に学校から発表されるニュースを読み、それに従ってどこにいても行動できます。そのニュースは日本にいても見られるので、私のほうでも、息子から連絡がなくても、ああホテルに移ったな、ということがわかるのです。本当にすごいものです。
留学中の学生や親御さんたちは、みんな冷静でした。ご心配の電話があるかもしれないと思い、事件の夜はニューヨーク市に電話がかからなくなっていたので、一晩ボストンの事務所に向かって命令を出していました。ボストンでは、地図で大学の位置を確認して、ご両親から電話があると、何十キロ離れているので大丈夫、という説明をしていましたが、電話は少ししかかりませんでした。次の日も、電話がかかるのは少なく、留学生たちからは「元気です」「大丈夫」というEメールがいっぱい届きました。
やはり、ニューヨーク市にある大学では、ただちに食堂にペットボトルの水と毛布が積み上げられて緊急態勢といった様子であったそうですが、ニューヨーク市以外は特別の騒ぎもなく、次の日から、また、同じ日常の生活を続けています。ニューヨーク市も翌週の月曜日から現場付近以外は日常に戻りはじめました。
「周りがWar、Warと言っていて、心配で夜も眠れない」と言ってきたのは、ニューヨーク市から百キロほど離れた田舎町にある大学に在籍中の学生一人です。
アメリカの人たちは、こういったとき、大変な団結をします。星条旗を掲げてボランティアをし、献血をします。国というものを強く強く意識するときです。
大変不幸なことであったのですが、私は、何かアメリカという国をとてもうらやましく思いました。国民が自分の国を大切に思い、自分の国に誇りをもつというのは、見ていて感動せざるを得ません。また、アメリカのどの教会もミサを行って、犠牲者への冥福を祈りました。
日本に何かあっても、日本人は日の丸を出して、国家に忠誠を誓い、日本を愛することを人々が口にし、神社やお寺にみんなが集まって、犠牲者へのお祈りがされるでしょうか?
靖国への参拝一つでもあれだけ問題が噴き出し、日の丸はオリンピックのときだけのもの、宗教は結婚式やお葬式などの儀式のためのものでだれも信じていない、といったような有様です。
明治から第二次世界大戦までの日本の価値観が、敗戦というものをきっかけに、ガラリと変わったわけですが、ただ戦争に敗れたので変わったのではなく、なぜ変わらなければならなかったのか、また、戦争にどんな問題がありどんな責任があったのか、すべて曖昧のままきてしまった日本では、いつしか、アメリカのような国を愛する心がなくなってしまったように思います。
留学中の若者がこの事件で国というものについて深く考えるチャンスがもてればいいな、と思っています。
ちなみに、事件のあった九月十一日という日ですが、九一一というのは、アメリカの緊急電話の番号なのです。日本の一一〇や一一九にあたるものですが、アメリカでは、警察、消防署のどちらにもこの番号でつながるのです。テロの犯人は、わざわざその番号をもじってこの日に実行したのでしょうか? それともただの偶然でしょうか?
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