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演劇で大学院に行く予定の大学四年生が三回目のカウンセリングを受けに来ていわく、「自分は、是非こちらにお願いして留学準備を手伝ってもらいたいのだけれど、親に話したら、こちらの費用が高すぎて、お前はだまされている」、と言われたとか。
また、高三の女の子は、大学を選べば選ぶほど次々と出てきて訳がわからなくなり、「本当は、研究所に頼んで手伝ってもらいたいのだけれど、初めにカウンセリングに一緒に来た母親が、自分でできないようなことでアメリカに行ってどうしてやっていけるの、と言って、取り合ってくれない」、と涙ぐみます。
別の子は、お母さんと二回目のカウンセリングにやってきて、やおら願書を取り出し、ここは何を書くのかと一つ一つ聞き出し、私が、「これだけわからないことがあるのに、とても一人じゃこれからやっていけないよ」、と言うと泣き出す始末。お母さんは、「友達に留学した人がいるので、その子に聞けば全部大丈夫と思っていたけれど、これだけわからないとは思わなかった。でも、自分はともかく子供の選んだ大学が間違いのないところであればそれでいいんですけど…」と、あくまで子供にやらせるという意向です。
ある体育大学の四年生でアメリカでトレーナーの勉強をしたいが、「両親は一年間行くのを遅らせて日本で英語学校に行って英語力を上げてから行った方がいいし、大学探しは、アメリカのことをよく知っているおじさんに頼むので心配いらないという。しかし、自分は、いろいろな英語学校を見て回ったが正直言って、とても英語力が上がるとは思えない、もちろん、自分が頑張らなければとはわかっているが、一年間無駄になるように思う。また、おじさんと相談しても、自分で調べて候補の学校を持ってくれば、考えてやる、というような話ばかりです。両親そろって初めのカウンセリングを受けたが、「英語のできない者を大学に入学させるとか、大学でついていけるとか、栄研究所は、ウソばっかりついている、と考えている。でも、自分は、やっぱり、大学に入れてもらって、断崖絶壁に立たされた環境に置かれることが、一番、英語力を高める方法だと思う」というのです。
最近、心に残ったカウンセリングのお話です。一番目の人は、英語力も高く判断力もすばらしく、集中力もあり、二〜三回のカウンセリングで何とかオーディションを受けるぐらいにまでたどりつけそうなので、とりあえず、できる限りのヘルプをすることにしました。あとは、少々カウンセリングで手伝ってもやれそうになく、きっとわからないだろうな、と思いつつ情報をあげているというところです。
日本で大学受験をするのに、独学ですべてするわけではありません。塾や家庭教師、学校の進路指導や担任、親の経験など、様々なものの影響を受け、何度も模擬テストを受けながら、片っ端から受験していくわけです。
アメリカの大学に行く場合、周りから影響を受けることは、まずありません。したがって、おじさんがミシガンにいるのでそこへ行く、というようなことくらいしかできません。私なども三〇年前は何の情報もなく、親友の親戚の知人がミシガンにいるということで、近くの大学院に行ったのです。小規模でクラスメートは大人で、私にはたまたまよかったのですが、私の後輩が私を頼ってやってきて、大学編入をし、大教室で周りは人に親切にする余裕などない若い学生たちで、結局、全滅ということになってしまったのです。私の仕事もこういったことに動機があるのです。
もし、アメリカのあらゆる大学を対象にして自分にあった大学を探すのならば、やはり当方のようなプロに頼むか(残念ながら他のエージェントは自分たちの提携校ばかりを紹介するのですが……)、よほどアメリカの教育に詳しい人に相談にのってもらいつつ進めなければなりません。十八才の娘に、自分でやれ、というのは全く理不尽な言いがかりとしか言えないのです。だいたい願書を出して返事がいつ来るのかさえわからず、慣れもカンもないわけですから、ちょっと心配性の人だと本当にノイローゼ気味になってしまいます。
ところで、日本人のどんな人も二〜三か月アメリカの英語学校に行くと必ず会話はできるようになります。これも英語力アップというより、中学三年生までに習った英語を使いこなしアメリカ生活に慣れるということです。買い物だって日本と同じなわけで、言葉より、目や経験が物を言います。したがって、すぐ日常生活はこなせるようになり、同時に英語力はストップしてしまうのです。英語力は確かに不足ですが、それでもポンとアメリカの大学に放り込めば、泳げない者が慌てて泳ぐのと同じで体で覚えていくものです。おまけに、緊張してしまうので脳も覚醒され、集中力・記憶力も上がります。アドレナリンの分泌のおかげです。日本の子供はそういう立場に追い込まれればけっこう頭を使ってやるものです。
大切なのは、本人や親、先生たちが、その人の能力を客観的に見て、どのような能力がすぐれ、どのような能力が劣り、その中でどういう方法をとりながら、その人の人生をハッピーにするかということを、つねに考えるということです。
コツコツやることがどの人もできるとは限らず、また、お勉強で優秀であることが幸福であるとは、全く限らないからです。
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